「30年間の停滞」という残酷な幻想:なぜ日本という「世界最高の工場」は貧困に喘ぐのか

勤勉な国民が直面する「報われない」という絶望の正体

朝、満員電車に揺られ、定時にデスクにつき、寸分の狂いもなく業務を遂行する。品質を追求し、コストを削り、納期を守る。私たちは世界でも類を見ないほど「真面目な」労働者だ。しかし、ふと手元の財布を見れば、30年前から時計の針が止まったかのような賃金。スーパーの棚に並ぶ食料品は音もなく値上がりし、将来への不安だけが雪だるま式に膨らんでいく。

「努力が足りないからだ」「自己責任だ」——。そんな呪詛のような言葉が社会に溢れている。だが、果たして本当にそうだろうか。一億人がこれほどまでに必死に働き、これほどまでに高い技術力を維持しながら、なぜ一向に豊かさを実感できないのか。

私たちが直面しているのは、個人の努力不足などという矮小な問題ではない。それは、私たちがどれほど汗を流しても、その果実が自動的に外部へと吸い上げられる「システム」そのものの欠陥なのだ。

出口なき「完璧な工場」の孤独な朝

想像してみてほしい。ある地方に、世界中から羨望を集める「超一流の精密部品工場」がある。

工場の敷地に一歩足を踏み入れれば、そこには静謐なほどの規律が流れている。職人たちはミリ単位の狂いも許さず、機械は24時間磨き上げられ、納品される製品は「魔法」と呼ばれるほどの精度を誇る。これほどの仕事をしているのだから、さぞかし工場は潤い、社員の生活は豊かなのだろうと誰もが思う。

しかし、実態は違った。

昼休み、社員食堂で提供されるのは、具のない薄いスープと冷えた飯だ。職人たちの作業着は擦り切れ、工場の設備はだましだまし使われている。なぜか。この工場の「ルール」が狂っているからだ。

工場の門の前には、常に一台の高級車が停まっている。そこに座る「元請け」の代理人は、製品が完成するたびに、本来支払われるべき報酬の8割を「技術指導料」や「安全保障費」という名目で持ち去っていく。工場長は、その代理人にペコペコと頭を下げ、機嫌を損ねないように必死だ。

「もっと安くしろ」「もっと納期を早めろ」という無理難題に対し、工場長は社員に向かって「これも良好な関係を保つためだ」「次は良くなる」と説いて回る。社員たちは疲れ果てた目で、再び旋盤に向かう。彼らは自分たちの技術が世界一であることを知っている。しかし、その技術を磨けば磨くほど、元請けの懐が厚くなるだけで、自分たちの食卓にはパンの一切れも増えないのだ。

この工場に、出口はない。どれほど生産性を上げても、その向上分はすべて「外」へ流れる仕組みになっているからだ。

奪われる付加価値と日本の「下請け化」

この寓話は、決して遠い世界の物語ではない。これこそが、現在の日本経済が抱える構造そのものである。

「世界一の技術」が奴隷の鎖に変わるとき

かつて日本は完成品メーカーとして世界を席巻した。しかし現在、多くの日本企業はグローバルなサプライチェーンにおける「高度な部品供給拠点(サブシステム)」へと成り下がっている。GAFAに代表されるプラットフォーマーや、軍事・通貨の覇権を握る米国という「元請け」に対し、日本はあまりにも従順な「優秀すぎる下請け工場」を演じ続けてきた。

最先端の半導体素材や精密機械で世界を支えながらも、最終的なプラットフォームの利益、つまり「価格決定権」は常に海の向こうにある。私たちが必死にコストを削減し、乾いた雑巾を絞るようにして生み出した利益は、配当金やライセンス料、あるいは歪な為替構造や安全保障のコストという名目で、組織的に国外へと流出しているのだ。

構造的な病巣と、工場長の変節

なぜ、この不条理な構造は維持されるのか。それは、この工場の運営責任者である「政治」が、元請けの顔色を伺うことを最優先事項としているからに他ならない。

彼らにとって、国民(社員)の生活を守ることよりも、元請け(同盟国やグローバル資本)からの評価を維持することの方が、権力の維持には都合が良い。利益が外に漏れ出す蛇口を締めるのではなく、むしろ蛇口を全開にしたまま、社員に「もっと効率よく働け」とハッパをかける。これが、この国で繰り返されてきた構造改革の本質である。

結果として、企業の内部留保は積み上がるが、それは再投資や賃金には回らず、グローバル資本家への貢ぎ物と化す。私たちが「30年成長していない」のは、私たちが働いていないからではない。働いた分の成果が、この国に留まらない仕組みになっているからなのだ。

「30年の停滞」は、怠慢ではなく搾取の結果である

私たちは、自分たちを責めるのをやめるべきだ。「日本の生産性が低い」という指摘は、半分は正しいが半分は欺瞞である。現場の生産性は極めて高い。しかし、その高まった付加価値を「自分たちの価格」として主張できない政治的・構造的弱さがあるだけだ。

「30年成長しない」という現象。それは、この国が巨大な「利益流出装置」として完成されてしまったことの証左である。下請け根性が染み付いた工場長に、この構造を自ら壊す勇気はない。彼らは「元請け」に嫌われることを、死ぬことよりも恐れているからだ。

私たちがこの閉塞感から抜け出すために必要なのは、さらなる努力でも、さらなる効率化でもない。

「私たちは、誰のために働いているのか?」という問いを、正面から突きつけることだ。汗をかいても報われないのは、あなたが無能だからではない。この工場の配管が、意図的に外へと繋がれているからだ。その不条理に気づき、仕組みそのものへの「NO」を突きつけない限り、私たちは永遠に、具のないスープを啜り続けることになる。

この国はもはや、ただの「優秀な工場」であってはならない。自らの価値に自ら値を付け、奪われた果実を取り戻す「意志を持った主体」へと脱皮しなければならないのだ。

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