火事場の節水――「真面目な狂気」が日本を焼き尽くすまで

乾いた喉を潤すことすら許されない、この国の「窒息感」

朝、ガソリンスタンドの電光掲示板を見上げ、ため息を呑み込む。スーパーの惣菜コーナーで、かつての見慣れた価格が「過去の遺物」になったことを突きつけられる。私たちの手元に残る可処分所得は、まるで穴の空いたバケツから漏れ出す水のように、静かに、しかし確実に減り続けている。

なぜ、これほどまでに苦しいのか。なぜ、国はこの明らかな窮状を前にして、国民に手を差し伸べようとしないのか。

「トリガー条項」という、かつて決められたはずの救済措置は凍結されたまま、減税という選択肢はまるで禁忌のごとく遠ざけられている。私たちは今、かつてないインフレという「猛火」に包まれている。それにもかかわらず、蛇口から流れるはずの支援の「水」は、頑なに止められたままだ。私たちは、ルールを金科玉条のように掲げる者たちの前で、ゆっくりと干上がり、そして焼かれようとしている。

燃え盛る柱と、帳簿を抱えた家主

想像してみてほしい。あなたは今、激しく燃え盛る家の中に立っている。

パチパチと柱がはぜる音が響き、黒煙が視界を遮る。肌を焦がす熱気に、呼吸すらままならない。あなたは必死に庭の蛇口へ手を伸ばし、ホースを火元に向けようとする。しかし、その時、あなたの後ろで冷徹な声が響く。「待ちなさい。その水を使ってはいけない」

振り返ると、そこには豪華な服を着た家主が、一冊の古びた帳簿を抱えて立っていた。彼の家もまた燃えているはずなのに、その目は炎ではなく、手元の数字だけを追いかけている。

「今の契約では、一ヶ月に使用していい水の量は決まっている。それ以上の水を使えば、来月の水道代が高くなるだろう。将来の世代にツケを回すつもりか?」

あなたは叫ぶ。「今この火を消さなければ、家も、将来も、私たち自身も灰になってしまうんだ!」と。しかし、家主は眉一つ動かさない。「規則は規則だ。平時に決めたこの『節水ルール』は、いかなる場合でも守らなければならない。水こそが貴重な資源であり、それを守ることこそが私の正義なのだから」

彼は、天井から火の粉が降り注ぐ中でも、帳簿にペンを走らせ続けている。家が崩れ去ろうとしているその瞬間まで、彼は「水道代の未払いを防いだ」という自らの潔癖さに酔いしれている。周囲の人間が喉を焼かれ、倒れていく姿を見ながら、彼はこうつぶやく。「私は最後まで、正しいルールを守り抜いたのだ」と。

「財政の健全性」という名の神殿に捧げられる生贄

この悪夢のような光景は、決して空想の産物ではない。現在の日本が直面している構造そのものである。

「トリガー条項凍結」という蛇口の封印

かつて、ガソリン価格が高騰した際に税率を下げる仕組みとして導入された「トリガー条項」。しかし、政府はこれを「凍結」し続けている。理由は「発動すれば税収が減り、財政に影響が出るから」だという。これはまさに、目の前の火を消すために水を使うことを「もったいない」と拒み、家が丸焼けになるのを傍観している状態に他ならない。インフレによって国民の生活基盤が崩壊すれば、将来的な税収も、経済の活力も、すべては灰に帰す。それにもかかわらず、彼らは「平時のルール(財政規律)」を、非常事態においても優先し続けている。

構造的な病巣:誰がこの不毛を望むのか

なぜ、これほどまでに愚かな選択がまかり通るのか。そこには「財務省」という巨大な官僚組織の論理と、それを正せない政治の怠慢がある。彼らにとっての勝利条件は、日本経済が成長することでも、国民の幸福度を上げることでもない。ただ一つ、「自分たちが管理する帳簿の数字(予算)を死守すること」である。減税とは、彼らにとっての「敗北」であり、一度与えた権利を国民に返すことは、自らの支配力の縮小を意味する。政治家もまた、短絡的なバラマキには積極的だが、税制という根源的なルールに手を触れることを恐れる。減税という「根本的な消火活動」よりも、複雑な補助金という「焼け石に水」を好むのは、それが選挙における恩売りとして機能しやすいからだ。

平時のルールを非常時に適用する「真面目な狂気」

私たちは今、大きな勘違いを正さなければならない。彼らが「責任ある財政」と呼んでいるものは、その実、国民の命を天秤にかけた「真面目な狂気」である。

平時のルールとは、平穏な環境があって初めて機能するものだ。嵐の海で、凪の日の操船ルールを守れば沈没する。戦場で、平時の交通規則を守れば狙撃される。そして、インフレという緊急事態において、平時の増税路線や凍結ルールを墨守すれば、国家は経済的に死滅する。

彼らは決して、自分たちが悪いことをしているとは思っていない。むしろ、ルールを厳格に守ることこそが正義だと信じ込んでいる。その「悪意のない勤勉さ」こそが、最も救いようのない絶望を招き寄せるのだ。

私たちは、帳簿を抱えて炎の中に立ち尽くす家主に引導を渡さなければならない。「将来のために今を犠牲にする」という言葉は、今を生きる人々の息根を止めていい免罪符にはならない。家が燃えているときに最も優先されるべきは、節水ではなく、持てるすべての水を使って火を消し止めることだ。

平時のルールを非常時に適用するのは、論理的な判断ではなく、想像力が欠如した「狂気」に過ぎない。この真面目な狂気に付き合わされ、共に灰になる必要はないのだ。今、この瞬間、凍りついた蛇口を力ずくでこじ開け、私たちが生きるための「水」を取り戻さなければならない。

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