「改革」という名の解体工事:なぜこの国の大黒柱は密かに抜き去られたのか

私たちが感じている「住み心地の悪さ」の正体

蛇口をひねれば安価で清潔な水が出る。電車は寸分の狂いもなく到着する。病に倒れれば、誰もが等しく高度な医療を受けられる。かつて、この国という「家」は、世界でも稀に見る堅牢さと快適さを誇っていた。しかし、どうだろう。今のあなたはこの家に対して、心からの安心を感じているだろうか。

社会を覆う薄ら寒い閉塞感、削り取られる可処分所得、そして明日の暮らしさえ見通せない将来不安。私たちは日々、懸命に働き、税を納め、この家を維持するために尽力しているはずだ。それなのに、なぜ壁には亀裂が入り、足元はこれほどまでに突き刺さるように冷えるのか。

「構造改革が必要だ」「民営化すれば効率が上がる」という勇ましい掛け声が響き渡るたび、私たちはどこかで期待を抱いてきた。より良く、より美しくなるために、この古い家をアップデートしなければならない。そう自分に言い聞かせ、痛みを伴う工事を受け入れてきたのだ。だが、現実はどうか。私たちの期待を裏切り、この国の土台そのものが今、取り返しのつかない形で変質させられている。

鳴り響く槌音と、静かに消えていく大黒柱

想像してみてほしい。あなたは、先祖代々受け継いできた古い屋敷の主だ。長年の風雨で傷みが目立ち始めた我が家を案じていると、一見誠実そうな「リフォーム業者」が現れる。

「旦那、このままじゃ次の大きな地震で潰れますよ。最新の技術を駆使して、耐震強度を劇的に高めましょう。もちろん、見た目も今風のスタイリッシュなデザインに一新します」

業者の言葉を信じ、あなたはなけなしの貯金を叩いて工事を依頼する。工事はすぐに始まった。家じゅうをブルーシートが覆い、激しい槌音が響き渡る。あなたは期待に胸を膨らませ、バリケードの外で見守る。やがて工事が終わり、シートが取り払われた時、あなたは目を見張った。

壁は白く輝き、窓には洗練されたアルミニウムのサッシがはめ込まれている。見た目はまるで新築のモデルハウスのようだ。しかし、中に入ってみると、ある異変に気づく。家全体を支えていた、あの太く頼もしかったヒノキの大黒柱が消えているのだ。代わりに置かれているのは、金メッキを施された細い装飾柱。床を歩けば、どこか頼りない振動が伝わってくる。

「柱はどこへ行ったんだ?」と問うあなたに、業者は薄笑いを浮かべて答える。「ああ、あの古臭い柱ですか。あれはメンテナンスコストがかかる無駄の象徴ですよ。だから中古材として高く売っておきました。その代わり、この壁紙は最高級のものを使いましたから」

外見の華やかさと引き換えに、家としての本質的な強度は失われた。雨が降れば屋根の一部がしなり、小さな揺れでも壁にひびが入る。リフォーム業者は売却益を手にさっさと立ち去り、後に残されたのは、いつ倒壊してもおかしくない「ハリボテの家」に震えながら住み続けるあなただけだ。

構造改革という名の「実態なき美化」

この寓話は、決して遠い異国の出来事ではない。過去数十年にわたり、この国で繰り返されてきた「構造改革」や「民営化」の正体そのものである。

巧妙に隠された「重要インフラ」の切り売り

政治という名の業者が掲げた「民営化」というスローガンは、公共の利益を守るためではなく、国民の共有財産を市場という名の「中古材市場」へ払い下げるための免罪符として機能してきた。

例えば、かつての国鉄や郵政の民営化、そして近年の水道事業の運営権譲渡、さらには不可欠なエネルギーインフラの切り売り。これらは、一見すると「効率化」や「サービスの向上」を掲げ、私たちの生活を便利にするリフォームのように宣伝された。しかし、その実態は、国家の生存に関わる大黒柱——すなわち、利益度外視で維持されるべき公共性——をシステムから引き抜く行為であった。

地震が来たときに露呈する致命的な脆弱性

リフォームされた「ハリボテの社会」の脆弱性は、平時にはなかなか露呈しない。しかし、パンデミック、大規模災害、あるいは世界的な経済危機といった「地震」が襲いかかったとき、その残酷なまでの強度のなさが白日の下にさらされる。

効率化という名の下に病床を削り、保健所を統廃合した結果、緊急時に医療は崩壊する。利益優先で運営されるインフラは、災害時の迅速な復旧よりもコスト削減を優先する。壁紙(外見上の経済指標)をいくら綺麗に貼り替えても、それを支える構造体が腐っていれば、一度の衝撃で家は瓦解する。これが「改革」の結果、私たちが手に入れた社会の真の姿だ。

破壊を「進歩」と呼び替えるペテン

なぜ、このような歪な構造がこれほど長く維持され、支持されてきたのか。それは、得をするプレイヤーが明確に存在するからだ。

このリフォーム詐欺で莫大な利益を得ているのは、国民ではない。インフラを二才で買い叩き、運営権を手に入れて利益を吸い上げる巨大資本や投資家、そしてその仲介役として振る舞う政治家や「知の専門家」たちだ。彼らにとって、国民が住む家の安全性など二の次である。重要なのは、その家の一部をいかに高く売り飛ばし、自らの配当を増やすか、その一点に尽きる。

彼らは「既得権益の打破」という言葉を好んで使う。しかし、実際に行っていることは、国民が等しく享受すべき「公共の既得権」を破壊し、一部の選ばれた者たちが独占する「特権的な利権」へと置き換える作業である。

「改革」という名の、重要インフラ切り売りを止めよ

私たちは、もはや「新しければ良い」「効率的であれば正しい」という甘い言葉に騙されてはならない。

今、この国に必要なのは、更なる壁紙の貼り替えではない。引き抜かれた大黒柱を元の位置に戻し、土台を打ち直す作業だ。それは、市場の論理に委ねてはならない領域を、明確に定義し直すことでもある。医療、教育、水道、エネルギー。これらは私たちが人間として尊厳を持って生きるための、この国の「構造材」である。

「改革」という美名の下で行われてきたのは、未来への投資ではなく、未来の切り崩しであった。私たちが向き合わなければならない真実、それは、私たちが信頼して鍵を預けた業者が、実は家を解体して売り歩く「シロアリ」であったという事実だ。

大黒柱なき家は、やがて来る嵐をやり過ごすことはできない。今、私たちがすべきことは、輝く壁紙の奥にある「空洞」を見つめ、奪われたものを取り戻すために声を上げることだ。装飾としての豊かさではなく、命を守るための堅牢さを。私たちは、これ以上の「解体工事」を拒絶しなければならない。

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