乾き切った大地で、私たちは空を見上げる
朝、目が覚めてニュースを確認するたびに、私たちは言いようのない徒労感に襲われる。企業の最高益更新、株価の史上最高値。そんな華々しい数字が並ぶ一方で、私たちの手元に残る実質の賃金は、物価上昇という名の熱風に煽られ、見る影もなく蒸発していく。
「これだけ経済が回っているというのなら、なぜ自分の生活は少しも楽にならないのか?」
この問いは、決してあなたの努力不足や能力の欠如を意味するものではない。社会という巨大なシステムの駆動部に、致命的な「目詰まり」が生じているのだ。私たちは今、かつてないほどの豊かさに囲まれながら、その恩恵から徹底的に疎外されている。この閉塞感の正体は、個人の問題ではなく、構造的な「富の私物化」にある。
鉄の雨、錆びついた水門、そして沈黙する管理人
想像してみてほしい。切り立った崖の上に、天を衝くほど巨大なコンクリートの壁がそびえ立っている。その名は「巨大ダム」。
かつてこの地には、四季折々の雨が降り、川を通じて適度な水が下流の村へと届けられていた。村人たちはその水で田畑を耕し、収穫を分かち合い、次の季節への備えを行っていた。循環こそが、この土地の命の源だった。
しかし、ある時からダムの管理方針が一変した。管理者は、降ってくる雨をすべてダムの中に閉じ込め、一滴たりとも下流へ流さないことを決めたのだ。
「将来が不安だ。不測の事態に備えて、水はできるだけ貯めておかなければならない」
管理者はそう呟きながら、巨大な溶接機を持ち出した。頑強な鉄の水門を、火花を散らしながら壁そのものに溶接し、完全に封印してしまったのである。
ダムの内部には、行き場を失った水が不気味なほどに満ちていく。水かさは増し、ダムの底には重苦しい圧力がかかる。一方で、下流の村はどうなったか。かつての青々とした田んぼはひび割れ、土は白く粉を吹き、作物は一本残らず枯れ果てた。村人たちは飢え、活気を失い、ただ乾いた空を仰ぐしかない。
さらに恐ろしいのは、ダムの内部で起きている変異だ。水は循環してこそ生命を育む。しかし、長年閉じ込められた水は淀み、日光を浴びることなく黒ずみ、悪臭を放ち始めた。あまりにも溜め込みすぎたために、管理者はその水をどう活用すればいいのかさえ、もう分からなくなっている。ただ「溜まっている」という事実だけに固執し、死んだ水を守り続けているのだ。
内部留保という名の「溶接された水門」
この不気味な光景は、架空の寓話ではない。現代日本経済において、企業の「内部留保」が 500兆円を超えて積み上がっているという現実そのものである。
利益という名の雨水が止まる場所
企業が上げた利益(雨水)は、本来であれば労働者への賃金や新たな事業への投資(川の流れ)として社会に還元されるべきものだ。それによって分配された富が消費を呼び、さらなる経済の発展を生む。これがいわゆる「経済の循環」である。
しかし、現在の日本企業は、将来への過剰な不安を言い訳に、上げた利益を内部留保として金庫に鍵をかける。あたかもダムの水門を溶接するかのように、下流への還元を拒絶しているのだ。労働者の賃金は抑制され、可処分所得が減れば、当然ながら国内の消費は冷え込む。かつて豊かだった「下流の市場」は、今や見る影もなく干上がっている。
構造的な病巣と、沈黙の共謀
なぜ、これほどまでに不条理な構造が維持されるのか。そこには、短期的な数字だけを追う経営者と、それを容認する株主、そして有効な再分配機能を失った政治の三位一体の機能不全がある。
経営者は「現金を積み増すこと」を経営の健全性と勘違いし、リスクを取る投資から逃げ出している。水門を溶接してしまえば、水が漏れる心配(赤字のリスク)はないかもしれないが、それは同時に「成長を放棄した」ことと同義である。下流が干上がれば、自分たちが作った製品を誰が買うというのか。今の経営層は、自分たちが依って立つ地盤そのものを、自らの手で砂漠化させているのだ。
溜め込まれた金は、もはや「資本」ではない。それは使い道を見失った「死蔵金」である。ダムの水が腐るように、投資先を見失った巨万の富は、ただ帳簿上の数字として膨れ上がり、実体経済に何ら寄与することなく腐敗していく。
金は天下の回りもの。止めれば経済全体が壊死する
「宵越しの金は持たない」という江戸っ子の気風を、単なる無計画だと笑う者は、経済の本質を見誤っている。お金とは、心臓から送り出される血液と同じだ。一箇所に留まり、凝固してしまえば、それは「血栓」となり、全身を壊死させる。
企業が「自衛」の名の下に富を独占し続ける行為は、社会という大きな身体に対する自傷行為に他ならない。労働者を買い叩き、取引先を絞り込み、金庫の中身を増やすことに腐心した果てに待っているのは、誰も何も買えない、何も生み出せない「静かなる死」が支配する荒野である。
私たちは今、この「溶接された水門」を力ずくでこじ開けなければならない。
内部留保を労働分配へと強制的に促す税制、あるいは未来への創造的破壊をいとわない真の投資。必要なのは、臆病な管理者の保身ではなく、再び川を流さんとする意志である。「金は天下の回りもの」という古くからの知恵は、現代の経済学が到達すべき究極の真理なのだ。
富の循環を止めれば、経済は壊死する。私たちが真に豊かさを取り戻すためには、コンクリートの壁を壊し、淀んだ水を再び社会という大地に解き放つ勇気が必要である。その流れこそが、乾ききった私たちの生活に、再び緑を呼び戻す唯一の手段なのだから。
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