終わりのない倦怠感と、処方箋という名の毒
毎日、満員電車に揺られながら、私たちは漠然とした不安の中にいる。給与は上がらず、物価だけが音を立てて上昇していく。かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われた輝きは霧散し、いまやこの国を覆っているのは、逃れようのない閉塞感と、拭っても消えない徒労感だ。
「景気回復」という言葉は、もはや実体のない呪文のように繰り返される。私たちは必死に働いている。生産性を上げろと急かされ、デジタル化の波に追いつこうと足掻き、コスト削減という名の削り取りに耐えている。しかし、どれほど汗を流しても、手元に残る果実は目減りし、社会全体の活気は失われる一方だ。
なぜ、私たちの正当な努力は報われないのか。なぜ、この国はこれほどまでに重苦しいのか。その答えは、私たちが長年「特効薬」だと信じ込まされ、飲み続けてきたものの正体にある。私たちは、自らの内臓を焼き、未来を質に入れた「毒入りのエナジードリンク」によって、かろうじて立たされているに過ぎないのだ。
黄金の液体がもたらす、残酷な幻影
想像してみてほしい。あなたはある日、深い疲労感に襲われ、一歩も動けなくなる。そこへ、甘い香りを漂わせた黄金色の液体が入ったボトルを差し出される。ラベルには「万能の活力剤」と記されている。
一口飲めば、魔法のような変化が訪れる。血管は拡張し、心拍数は跳ね上がり、脳内には快楽物質が溢れ出す。つい先ほどまでの絶望的な倦怠感はどこへやら、あなたは超人的なエネルギーを手に入れた錯覚に陥る。重かった足取りは軽くなり、夜通し踊り続けることさえ可能だ。
しかし、そのボトルの裏側に小さく刻まれた「禁忌」を、あなたはまだ知らない。
その液体は、筋肉を増強するものでも、栄養を補給するものでもない。ただ、あなたの身体が本来持っている「予備財源」を強引に前借りし、神経を麻痺させているだけなのだ。薬の効果が切れるたび、訪れる反動は深くなる。内臓は少しずつ、しかし確実にボロボロになり、消化機能は衰え、自力でエネルギーを生成する力を失っていく。
やがて、あなたは気づく。もはやその液体なしでは、立ち上がることさえできないことに。そして、次のボトルを求める時には、以前よりもさらに強力な、さらに毒性の強い配合を要求しなければならない。身体が崩壊に向かっていることを本能で察しながらも、その場限りの「覚醒」を手放せない。周囲を見渡せば、誰もが同じようにボロボロの身体を黄金の液体で無理やり動かし、虚ろな目で次の配給を待っている。これが、今の日本という名の病室で起きている光景だ。
構造的な中毒症状:異次元緩和という名の麻薬
この比喩が指し示す現実、それは「異次元の金融緩和」と、際限のない「補助金による延命処置」である。
市場の死、そして「ゾンビ」の跋扈
経済において、低金利や通貨供給の拡大は、本来なら一時的な「ブースト」であるべきだ。しかし、この国は10年以上にわたり、この劇薬を常用し続けた。その結果、何が起きたか。
市場機能という名の「内臓」が完全に破壊されたのだ。本来、市場とは新陳代謝の場である。非効率な企業が淘汰され、新たな革新的企業がそのリソースを引き継ぐことで、社会は成長する。しかし、「毒入りのエナジードリンク」を無差別にバラまいたことで、本来なら退場すべき企業が「ゾンビ」として生き長らえてしまった。この不自然な延命が、若くて活力のある企業の芽を摘み、この国からダイナミズムを奪い去ったのである。
依存の連鎖:増税と介入の無限ループ
さらに恐ろしいのは、薬が切れた時の反応だ。市場が自走する力を失ったため、政府が介入を止めれば、経済は即座に崩壊し、痛みが生じる。政治家はその痛みを恐れ、有権者は目先の平穏を求める。
結果として、さらに「強い薬」が必要になる。物価高対策の補助金、業界ごとの支援金、そしてそれらを賄うための将来的な増税や社会保険料の引き上げ。私たちは、自分が支払った、あるいは将来支払うべきコストで、自分たちに一時的な「麻痺薬」を投与しているに過ぎない。これは自己資本の食いつぶしであり、未来の世代からの略奪である。
誰が得をしているのか
この壊れた構図の中で、明確に得をしている層が存在する。それは、既得権益にしがみつく古い体質の企業であり、不換紙幣の増刷によって資産価値を守られている富裕層であり、そして「配る力」によって権力を維持する政治家である。彼らにとって、国民が自立して健全な市場で戦うことよりも、依存症患者としてお上からの配給(補助金)を待ち続ける状態の方が、はるかにコントロールしやすい。
結論:麻薬を捨て、痛みを伴う再生へ
私たちは今、残酷な真実に向き合わなければならない。私たちが握りしめているそのボトルの中身は、救済などではなく、市場の新陳代謝を止め、ゾンビ企業を延命させる「麻薬」である。
このまま「毒入りのエナジードリンク」を飲み続ければ、待っているのは緩やかな、しかし確実な死だ。国家としての基礎代謝がゼロになり、他国に買い叩かれ、若者が希望を失って去っていく未来である。
必要なのは、さらなる緩和でも、微調整された補助金でもない。この猛毒の依存から脱却するための、壮絶な「デトックス」である。
市場機能を取り戻すことは、痛みを伴う。非効率なものが淘汰される過程で、一時的な苦痛は避けられないだろう。しかし、その痛みこそが、身体が正常な機能を取り戻そうとしている証なのだ。ゾンビ企業の延命を止め、資本と人間を、未来を作る場所へと解放しなければならない。
「これさえ飲めば大丈夫」という甘い誘惑を断ち切れ。私たちは、一時的な覚醒のために未来を売ることを、今すぐやめるべきだ。自らの足で立ち、冷徹な市場の風に吹かれること。その厳しさの中にしか、本物の成長と、私たちが本当に欲していた「報われる社会」への入り口はないのである。
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