乾いた喉と、砂を噛むような投票権の重み
朝、満員電車に揺られながらスマートフォンの画面をなぞる。流れてくるのは、物価高騰を嘆く声、社会保障の不安、そして、それらとは無縁の場所で「国民のために」と連呼する政治家たちの空虚な言葉だ。私たちは、確かにこの国の主権者であるはずだ。数年に一度、一票を投じる権利を行使し、自らの未来を託す相手を選んでいる——そのはずだった。
しかし、どうだろう。どれほど熱心に政策を読み比べ、真剣に一票を投じても、結局のところ、顔ぶれは変わらず、既得権益の壁は微動だにしない。そこにあるのは、努力が報われない徒労感だ。「自分が投票したところで何も変わらない」という諦念は、無知ゆえの怠慢ではなく、正体不明の違和感から来る生存本能に近い。
なぜ私たちは、これほどまでに報われないのか。それは、私たちが参加している「民主主義」という名のゲームが、根本から歪んでいるからに他ならない。
試合中に「ゴールポスト」を担いで走る選手たち
想像してみてほしい。あなたは今、ある重要なスタジアムの観客席にいる。ピッチ上では、国の行く末を左右する重大なサッカーの試合が行われている。一方のチームは、泥にまみれ、必死に汗を流してボールを追いかける。
しかし、試合が始まって数分後、あなたは奇妙な光景を目にする。青いユニフォームを着たチームの選手が、突然、審判のホイッスルを奪い取ったのだ。彼は審判と肩を組み、談笑しながらこう宣言する。
「今のルールは我々に不利だ。だから、たった今から変更する。我々のゴール枠は幅10メートルに広げ、相手のゴールは幅50センチに狭めることにした」
ざわつく観客をよそに、彼らの暴挙は止まらない。相手チームが巧みなパスワークでゴール前に迫ると、青いチームの選手は無造作にゴールポストを引っこ抜き、背負って走り去る。ボールが届かない位置までゴールを移動させてしまったのだ。さらに彼らは、自分たちの陣地にだけ守備職人を2倍に増やし、挙句には「試合時間の終了を決める権利も我々にある」と言い放つ。
観客は怒り、叫ぶ。「それは反則だ!」「公平ではない!」と。しかし、青いチームの選手は平然と答える。「我々はピッチ上の多数派だ。多数決によってルールを変えることは、最も民主的な行為ではないか」
泥まみれの相手チームには、もはや対抗する術がない。どんなに技術を磨いても、どんなに戦略を練っても、相手が試合中にルールを書き換え、ゴールを動かしてしまえば、勝利の可能性はゼロに等しい。これはスポーツではなく、スポーツの形を借りた「公開処刑」に近い儀式である。
民主主義をハックする「職人的な不正」
選挙制度という名のゴールポスト移動
上の寓話は、決して絵空事ではない。私たちの現実社会で「選挙区割り」や「定数是正」という難解な言葉の裏で行われていること、そのものだ。
政治の世界には「ゲリマンダー」という言葉がある。自分たちに有利なように選挙区の境界線を引き直す手法だ。与党が優勢な地域を分割して複数の選挙区で勝ちを拾えるようにし、逆に野党の支持層が厚い地域を一箇所に隔離して死票を増やす。あるいは、人口移動に応じて必要となるはずの定数見直しを、自分たちの議席が失われない範囲でしか行わない。
これこそが、試合中にゴールポストを担いで逃げる行為の正体だ。彼らは「格差是正のため」という大義名分を掲げながら、その実、自分たちが永続的に勝ち続けるための数式を、法律という形に変えてピッチに持ち込んでいる。
審判と選手の一体化が生む構造的絶望
この構造が維持される最大の理由は、日本におけるルール決定のプロセスにある。スポーツの世界では、ルールを作る協会と、それを適用する審判、そしてプレーする選手は厳格に分離されている。しかし、国会においては「選手(議員)」が「ルールブック(公職選挙法)」を書き換え、身内の「審判(与党執行部)」がそれを運用している。
なぜこの不条理が変わらないのか。答えはあまりに単純で、残酷だ。そのルールによって「得をしている人間」だけが、ルールを変える権限を握っているからである。
一票の価値が倍近く違う地域が残され、特定の政党に過剰な議席配分がなされる仕組みは、バグ(欠陥)ではない。むしろ、現体制を維持するために精密に設計された「仕様(仕様)」なのだ。今のやり方で勝っている人間に、「勝ちにくくなる改革」を期待すること自体、論理的な矛盾を孕んでいる。
民主主義のフリをした「出来レース」への決別
この歪んだ構造の果てにあるのは、民主主義の形骸化である。国民には「選ぶ権利」が与えられているように見えるが、実際には選択肢自体が、与党が勝てるようにあらかじめ間引かれ、調整されている。これは自由な選択ではなく、プログラムされた「出来レース」をなぞらされているに過ぎない。
私たちが直面しているのは、単なる政治の腐敗ではない。それは、民主主義というOSが、権力者によって「自分たちに都合よくハックされた」状態である。
核心を言おう。私たちが今、目の当たりにしているのは、真の民主主義ではない。それは、ルールブックを持った審判兼選手による「民主主義のフリをした統治」だ。
私たちがこの徒労感から抜け出すためには、まず、この試合が「最初から八百長である」という事実を直視しなければならない。ルールが不公正なままプレーを続けることは、不公正を追認することと同義だ。ゴールを自由に動かす選手に向かって、「もっと一生懸命走れ」と応援することの無意味さを悟るべきである。
必要とされるのは、ピッチの中での得点力争いではない。試合を止め、審判から笛を取り上げ、ルールブックを主権者の手に取り戻すための「場外乱闘」——すなわち、制度そのものに対する徹底した否認と、構造改革への圧力である。「勝つか負けるか」を争う前に、「試合が成立しているか」を厳しく問い直すこと。それだけが、この閉じられた迷宮を壊す唯一の槌(つち)となる。
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