「賞味期限切れの処方箋」を飲み続ける日本:なぜ公共事業という名の麻薬は止まらないのか

止まらない「増税」と「空虚な箱」、私たちは何に搾取されているのか

朝の駅構内。立ち食いそばを啜るサラリーマンの背中には、目に見えないほどの重い湿布が貼り付けられている。給与明細を眺めれば、社会保険料と税金が、まるで吸血鬼のようにあなたの労働から精髄を吸い取っている。手元に残るわずかな「果実」は、物価高という名の熱風にさらされ、瞬く間に萎んでいく。

これほどの痛み、これほどの閉塞感の中にありながら、なぜ私たちの生活は一向に書き換えられないのか。なぜ「明日は今日より良くなる」というかつての当たり前の予感は、この国から消え失せてしまったのか。

私たちは、ある「病名」を突きつけられ、それに対して何十年も同じ薬を処方され続けている。だが、その薬こそが、今の私たちの体を内側から蝕んでいる毒だとしたらどうだろうか。

絶滅後の島で、死んだ王の墓を建て続ける民の孤独

想像してみてほしい。かつて、ある豊かな島があった。その島では人口が爆発的に増え、活気に満ちあふれていた。その頃、島の賢者は一つの魔法の処方箋を編み出した。「巨大な石像と神殿を、島の至る所に建てよ」というものだ。

石像を建てるために道が作られ、石を運ぶ男たちに飯が振る舞われ、村には活気が溢れた。神殿が完成すれば、そこは市場となり、さらに人が集まった。その「薬」は、確かに島の熱病を治し、成長を加速させる特効薬だったのだ。

しかし、時が流れた。島の空気は変わり、かつての熱気は冷え切った。子供の泣き声は消え、若者は去り、残されたのは足腰の立たない老人たちだけになった。島を覆っていた湿気は乾燥へと変わり、かつての「熱病」とは正反対の「低体温症」が島を襲っている。

ところが、島の役人たちは今もなお、古ぼけて文字も霞んだ「処方箋」を握りしめ、村人たちにこう命じ続けている。「さあ、今日も石を運べ。山を削り、新しい巨大な神殿を建てるのだ」

村人たちは、重い石を引きずりながら首を傾げる。「神殿を建てて、誰が使うのですか?」「もう神殿の維持費を払う余裕はありません」。しかし、役人は聞く耳を持たない。彼らにとって、薬を配ること自体が仕事になってしまっているからだ。

出来上がったのは、誰も通らない広大な石畳と、屋根が崩れかけ、維持管理費だけで村の食料が尽きてしまうような、虚しい「箱」の山だった。その影で、村人たちは飢え、震えている。それでも、一度走り出した「建設の儀式」は止まることを知らない。

昭和という「熱病」の記憶が、令和を殺す

この不条理な寓話は、まさに現在の日本の姿そのものである。私たちが直面している「賞味期限切れの処方箋」とは、人口増加・右肩上がりの経済成長を前提とした「昭和型公共事業」という成功体験の亡霊だ。

人口増加時代の「成功」を、人口減少時代にコピーする愚脈

かつて、道路を通し、ダムを造り、地方に立派な文化ホールを建てることは、経済を活性化させる正解だった。投資した以上のリターンが人口増加によって保証されていたからだ。しかし、今や日本は世界でも類を見ない超高齢化・人口減少社会の最前線にいる。

現実の「現象」を見渡せばいい。地方の幹線道路を走れば、誰も歩いていない歩道、利用者の疎らな道の駅、そして維持管理が追いつかずに朽ち果てていく橋が目に入る。これらはすべて、かつての「魔法の薬」が、現在の病状を無視して投与された結果である。

構造的な病巣:誰が「期限切れの薬」を求めているのか

なぜ、この愚行が止まらないのか。それは、このシステムが生み出す「利権の循環」によって、恩恵を受ける特定の層が存在するからだ。

  1. 政治の論理: 「何かを作った」という可視化しやすい実績が票に直結する。
  2. 行政の論理: 予算を使い切らなければ、翌年の予算が削られる。彼らにとっての目的は、人々の幸福ではなく「予算執行」そのものだ。
  3. 産業の論理: 公共事業に依存した地場産業は、他の食い扶持を見つけられないまま、延命のために新たなハコモノを要求し続ける。

この三者の思惑が一致する場所では、もはや「その道路が本当に必要か」という問いは抹殺される。彼らにとって、公共事業は「手段」ではなく、それ自体が存立の「目的」と化しているのだ。

手段が目的化し、副作用だけが子供たちの世代を蝕む

かつての「薬」は、今や純然たる「毒」へと変貌を閉鎖した。

この構造の恐ろしさは、建物が完成した瞬間に終わるのではない。真の苦しみは「完成した後」に始まる。コンクリートの耐用年数は数十年だ。一度建ててしまえば、それを解体するにも、あるいは維持し続けるにも、莫大なコストが発生する。

現在の現役世代、そしてこれから生まれてくる子供たちが背負わされるのは、かつての成功体験に酔いしれた大人たちが残した「負の遺産」の管理費用である。教育、福祉、最先端技術への投資——未来のために使われるべきはずの貴重な税金は、誰も使わないトンネルの補修費用として消えていく。

結論:私たちは「処方箋」を奪い取れるか

私たちがすべきことは、かつての成功者の自慢話を聞き流すことではない。彼らが後生大事に抱えている「古い処方箋」を、力ずくで奪い取ることだ。

医療の世界では、誤診に基づいて不適切な薬を投与し続ければ、それは医療ミスとして厳しく指弾される。政治・経済においても同じである。人口減少という「新しい病気」に対して、昭和の「古い薬」を処方し続けることは、もはや政策の誤りではなく、社会に対する背任行為と言っても過言ではない。

「手段が目的化し、副作用(維持費)だけが残る」

このスパイラルを断ち切るためには、私たち読者が、表面的な景気対策や「ハコモノ」の誘惑に惑わされない冷徹な視点を持つ必要がある。未来の日本に必要なのは、立派なコンクリートの塊ではない。限られた資源を、血の通った人間に投資する勇気だ。

賞味期限の切れた処方箋をゴミ箱に捨てる時は、今、この瞬間である。

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