若者が線路を敷き、老人がタダで特急に乗る。崩壊する「日本号」という名の不条理

誠実に生きるほど摩耗していく、この国の「正解」への疑念

朝、満員電車の冷たいドアに押し付けられながら、ふと思うことはないだろうか。「自分はいったい、誰のために、何のためにこれほどまで身を削っているのか」と。

給与明細を開けば、額面と手取りの乖離に愕然とする。健康保険料、厚生年金。引かれる額は年々増え続け、手元に残る金は生活を維持するだけで精一杯だ。将来への貯蓄など、この物価高の中では夢のまた夢。一方で、ニュースに目を向ければ、莫大な社会保障費の増大と、それに伴う現役世代への負担増が淡々と報じられている。

「若いうちは苦労するものだ」「年長者を敬うのは当然だ」そんな美しい精神論の裏側で、私たちは確実に、そして静かに、何者かによって搾取されているのではないか。この閉塞感は、単なる景気の善し悪しではない。この社会が根底から抱えている「深刻なバグ」が、ついに修復不可能なレベルにまで達していることの証左である。私たちが感じているのは、単なる不満ではない。公正であるはずのルールが、実は一部の層にのみ有利に設計されているという、構造的な不条理に対する本能的な拒絶反応なのだ。

出口なき迷宮、「無賃乗車」が許された銀河鉄道

想像してみてほしい。あなたは今、深い霧に包まれた無人駅のホームに立っている。ようやく滑り込んできた列車は、古びているが豪華な内装を誇る「日本号」だ。この列車を走らせるためには、莫大な維持費がかかる。線路の補修、石炭の補給、運転士の給料。これらすべてのコストを賄っているのは、今まさに乗り込もうとしている若者たちだ。

乗車口で、若者たちは法外な値の「特別運賃」を要求される。手持ちの金の半分以上を差し出し、ようやく彼らは硬い補助席に座ることを許される。ふと車内を見渡せば、そこには驚くべき光景が広がっていた。

車両の奥、ふかふかのリクライニングシートが並ぶグリーン車。そこでは、身綺麗にした老人たちが、窓の外を流れる景色を眺めながら優雅にティータイムを楽しんでいる。彼らの手元に切符はない。検札に来た車掌に、彼らはこう言い放つ。「私たちは昔、この線路を敷く手伝いをしたんだ。だから今、無料で乗るのは当然の権利だ」

だが、現実は残酷だ。彼らがかつて敷いたのは、今や老朽化し、至る所でひび割れた細い線路に過ぎない。今の列車が走り続けるために、、今まさに石炭を火炉に投げ込み、線路を必死に繋ぎ止めているのは、高額な運賃を払わされた若者たちである。「おじいさん、少しは負担してくれないか。このままじゃ次の駅まで持たないんだ」若者が声を上げても、老人たちは耳を貸さない。それどころか、「最近の若いもんはワガママだ」「感謝の心が足りない」と説教を始める。

石炭は底をつきかけ、車輪は悲鳴を上げている。それでも列車は止まらない。いや、止まれないのだ。乗客の重みに耐えかねた床が、少しずつ抜け始めている。

医療という名の「グリーン車」と、現役世代の重税

この奇妙な列車の風景は、紛れもなく今の日本の姿である。

世代間格差という名のシステム・エラー

「切符を買わずに電車に乗る老人」とは、現代における過剰な医療費・年金制度を享受する高齢者層のメタファーだ。彼らはかつての高度経済成長を支えた自負を盾に、現在の社会保障費の大部分を消費している。現在、医療費の窓口負担は現役世代が3割であるのに対し、多くの高齢者は1割から2割に抑えられている。残りの差額を埋めているのは、現役世代が納める健康保険料と税金だ。若者が病気になっても「寝て治せ」と無理をして働きに出る傍らで、病院の待合室は「特に用事はないが、先生に会いに来た」高齢者たちで溢れかえる。この光景は、まさに「若者が高い運賃を払い、老人が無料でグリーン車に乗る」構図そのものではないか。

構造的な病巣と、沈黙の政治

なぜ、これほどまでに不条理な構造が野放しにされているのか。その答えは、民主主義というシステムの皮肉にある。政治家にとって、最大の顧客は「数」と「時間」を持つ高齢者だ。若者は数が少なく、生活に追われ、投票所に足を運ぶ余裕もない。一方、時間は潤沢にあり、自分たちの権利(=既得権益)を侵害されることに敏感な高齢者票を失うことは、政治家にとっての死を意味する。

その結果、誰の目にも明らかな「フリーライダー構造」は温存され、ツケはすべて「未来」という名の、声なき世代に回され続けている。社会保険料は事実上の「第二の所得税」として、現役世代の可処分所得を容赦なく奪い取っている。これは所得の再分配ではなく、単なる「若者から高齢者への資産移転」に他ならない。

破綻のカウントダウン:私たちは「食い潰される」のを待つのか

「日本号」という列車は、すでに廃線の危機に瀕している。社会保険制度の維持費が膨れ上がり、国力という名のエネルギーを使い果たそうとしているからだ。

このまま進めば、待ち受けているのは緩やかな衰退ではない。ある日突然、線路が途絶え、列車が脱線転覆する、破局的な崩壊だ。現役世代がその重圧に耐えかねて「乗車」を拒否し、労働の意欲を完全に失ったとき、この国のエンジンは止まる。私たちが直視しなければならないのは、この構造が「功労者への恩返し」などという美しいものではなく、単なる「フリーライダー構造」に成り下がっているという事実だ。

もはや、空虚な「世代間の合意」を待っている余裕はない。私たちは声を上げなければならない。たとえそれが、年長者を敬うという美しい伝統に背くように見えたとしても、沈みゆく船から全員を救うためには、不当な特権を返上してもらうしかないのだ。

誠実に働き、ルールを守る者が最も損をする社会。そんな歪な世界を次世代に引き継ぐことこそ、最大の不条理であり、私たちの世代が犯してはならない罪である。今、この瞬間にも、あなたの給与明細から「グリーン車」の維持費が引き落とされている。その不快感を、単なる愚痴で終わらせてはならない。この不条理を突き崩すのは、今この「片道切符」の不当な高さを知る、あなたの覚醒した視点なのだ。

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