息苦しさの正体:誰に頼まれたわけでもない「自粛」という病
満員電車の沈黙、会議室での顔色伺い、SNSでの「炎上」を恐れた無難なつぶやき。私たちの日常は、目に見えない幾千もの糸に縛られている。誰かに明確に禁止されたわけではない。処罰を明文化した法律があるわけでもない。しかし、私たちは絶えず「正解」を探している。それも、自分が心から望む正解ではなく、他者から後ろ指を指されないための「もっとも無難な解」を。
この閉塞感の正体は何か。それは、私たちが自身の内側に「空気を読むAI」を実装してしまったことにある。プログラミングしたのは国家でも権力者でもない。社会というぼんやりとした集合体が、長い年月をかけて私たちの脳に流し込んだ、同調圧力という名のアルゴリズムだ。真実を語ることよりも、和を乱さないこと。尖った正義よりも、丸い忖度。その果てにあるのは、誰も責任を取らない、そして誰も救われない、静かな窒息である。
想像してほしい:全自動で「沈黙」を生成する精密機械の街
街の中心に、巨大な透明のタワーが立っていると想像してほしい。その中では、世界で最も高度なAIが稼働している。このAIの目的は、街の平和を維持することだ。
しかし、このAIは一度も「これをしろ」「あれをするな」と命令したことがない。警察のように市民を監視し、地下牢にぶち込むような野蛮な真似もしない。ただ、街の至るところに設置された無数のセンサーから、市民の視線、声のトーン、表情の微細な変化を吸い上げ続けている。
ある日、一人の若者が広場で「この街のルールはおかしい」と声を上げようとしたとする。その瞬間、AIは物理的な力を使わずに、周囲の空間の色をわずかに変える。あるいは、隣を歩く人々の歩幅を1センチだけ狂わせ、若者に「違和感」という名の微弱な電気ショックを与える。若者は直感する。「今、ここで声を出すのは、最適解ではない」と。
AIが提示するのは、常に「最も摩擦が少ない選択肢」だ。ポスターのデザイン、テレビのニュース、恋人たちの会話。すべてはAIが算出した「誰も傷つけず、誰にも怒られない、中庸という名の空疎なテンプレート」に置き換えられていく。人々はこのAIを「空気」と呼び、崇めるようになった。
やがて、AIは計算を止める。なぜなら、市民の一人ひとりが自分自身の脳内に「AIのコピー」をインストールしたからだ。物理的なセンサーはもういらない。市民は互いに互いを監視し、何より自分自身を監視するようになった。誰に命令されるまでもなく、人々は自ら口を噤み、自ら思考を削ぎ落とし、最も無難な景色の一部になっていく。この街には、独裁者はいない。ただ、膨大な「配慮」の結果として、沈黙だけが支配している。
現実社会への翻訳:自主規制という名の見えない検閲
この寓話は、現代日本のメディア、そして社会そのものの縮図である。
「炎上」という名のアルゴリズムへの最適化
かつて、権力による弾圧は「外部」からやってきた。発禁処分や逮捕といった強権的な手段だ。しかし、現代の日本的忖度は、より内省的で、より巧妙である。
メディア各社は、特定のアカウントや勢力からの「電凸(電話攻撃)」やSNSでの炎上を恐れ、企画の段階で牙を抜く。スポンサーの顔色を伺い、視聴者の反発をシミュレーションし、あらかじめ批判の余地を潰しておく。これを「自主規制」と呼ぶ。しかし、その本質は「自主的な検閲」に他ならない。誰にも命じられていないのに、想像上の「誰か」を怒らせないために、自ら表現の可能性を狭めていく。これは、前述の「空気を読むAI」が導き出す無難な出力そのものだ。
構造的な病巣:誰がこの「空気」を維持しているのか
なぜ、この不条理な構造は維持されるのか。それは、このシステムが「責任の分散」において極めて優秀だからだ。
「空気を読んで判断した」という言い訳は、失敗した際、誰にも責任を負わせないための魔法の言葉になる。上司は部下に明確な指示を出さず、部下は上司の意を汲んで(忖度して)動く。もし事が露見しても、上司は「そんなことは命じていない」と言い逃れ、部下は「空気からそう判断した」と弁明する。
この構造で得をしているのは、現状維持を望む守旧派と、責任を回避したい凡庸な権力者たちだ。彼らにとって、国民が自発的に口を噤み、自発的に行動を制限してくれることは、コストゼロで国民を統制できる理想的な状態である。強権的な独裁体制を築くよりも、各々に「空気を読むAI」を内面化させる方が、はるかに効率的で、かつ反発を招かない統治術なのだ。
核心:権力による弾圧よりタチが悪い、空気による自粛
私たちは今、歴史上のどの時代よりも自由な言論の場を手にしているはずだ。しかし、その実は、歴史上のどの時代よりも「見えない鎖」に縛られているのではないか。
国家が銃を突きつけ、「これを言うな」と命じる世界ならば、まだ希望はある。敵の所在が明らかであり、私たちはその抑圧に対して怒り、戦うことができるからだ。しかし、今の私たちはどうだろうか。私たちが戦っている相手は、自分自身の内側に潜む「空気を読むAI」である。
「権力による弾圧よりタチが悪いのは、空気による自粛である」
この事実を、私たちは直視しなければならない。自粛は、自発的な服従である。誰からも強制されていないからこそ、私たちは自分たちが奴隷であることを自覚しにくい。むしろ、「大人の対応」「配慮」「マナー」といった美しい言葉で、自身の臆病さを粉飾してしまいがちだ。
しかし、空気を読んで得られる安寧は、緩やかな緩りと同義だ。誰もが「無難な解」しか出さなくなった社会に、新しいイノベーションも、真の多様性も、熱を帯びた民主主義も宿るはずがない。
私たちがまずすべきことは、脳内の「空気を読むAI」を一度シャットダウンすることだ。周囲のノイズを遮断し、自分自身の内側から湧き上がる、誰にも配慮していない剥き出しの言葉を取り戻すこと。不快な真実を口にし、空気を凍らせる勇気を持つこと。
この窒息しそうな世界を突き破る唯一の手段は、最適解を拒絶し、あえて「空気の読めない人間」として生きるという、気高い自由の行使以外に存在しないのである。
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