乾ききった社会に流れる「奪い合い」の旋律
朝、目が覚めた瞬間に重くのしかかるのは、今日一日の労働への期待ではなく、失われていく感覚だ。給与明細を眺めるたび、額面と手取りの乖離に溜息をつく。物価は高騰し、スーパーの棚にあるわずか数百円の贅沢を諦めることが日常となった。私たちは、ただ生き延びることだけにリソースを注ぎ込み、未来を語るための「余白」を奪われている。
真面目に働き、税を納め、ルールに従う。その代償として得られるはずの安心感はどこへ消えたのか。なぜ、汗水垂らして働けば働くほど、私たちの暮らしは窮屈になり、呼吸すら浅くなっていくのか。日本という国家が直面しているのは、単なる財政難ではない。それは、生存戦略を見失った生命体が陥る「死に至る合理性」の罠である。
飢餓に狂った蛸の「論理的」な決断
想像してみてほしい。暗く冷たい海底の岩陰に、一匹のタコが潜んでいる。かつてそのタコは、強靭な八本の足を自在に操り、獲物を捕らえ、大海原を闊歩する誇り高き捕食者だった。しかし、海流が変わり、獲物は姿を消した。胃袋を焼くような空腹がタコを襲う。
周囲を見渡しても、食料は見当たらない。極限の飢えの中で、タコは自分の「足」を見つめる。「いま、この一本を食べれば、今日の空腹は凌げるのではないか」その思考は、その瞬間においては極めて合理的だ。外に獲物がいないのなら、自分の一部を資源として転用すればいい。タコは迷いなく、自分の足に鋭い嘴を立てる。
自分の肉を噛みしめる痛みはある。しかし同時に、胃が満たされる安堵感がやってくる。空腹の苦しみに比べれば、足の一本や二本、安いものだ。そう自分に言い聞かせ、タコは二本目、三本目と自分の肉を食らっていく。
しかし、タコは気づかない。一本の足を失うごとに、泳ぐ速度が落ちることに。三本の足を失ったとき、もはやかつての機敏な方向転換は不可能になっている。五本の足を食らったとき、砂底を這うことすら危うくなる。そして八本目の足を口に運ぼうとしたとき、彼は悟るのだ。自分にはもう、外の世界へ獲物を探しに行くための「道具」が何ひとつ残っていないことを。
腹は満たされたかもしれない。だが、その体(経済規模)は無惨に縮み、自力で生きるための機能を完全に喪失した。残されたのは、自分の肉を食い尽くし、浮上する力さえ失った、肥大化した頭部だけの無力な塊である。
自己捕食という名の財政政策
「可処分所得」という名の足を食いちぎる国家
この凄惨な比喩は、現代日本がひた走る経済政策そのものである。「増税による景気冷え込み」という現象は、まさにタコが自分の足を食う行為に他ならない。政府が財政赤字を埋めるために、国民から「可処分所得」という名の活力を奪い取る。国民は手元に残る金が減り、消費を切り詰め、生活の防衛に入る。
経済とは、本来「回る」ものである。しかし、その回転の源泉である個人の所得(足)を国が吸い上げれば、当然ながら経済という生命体の動きは鈍る。消費が減れば企業の利益は減り、給与は上がらず、さらに税収が減る。すると政府は、足りなくなった税収を補うために、再び「増税」という嘴を国民の足へ突き立てる。
構造的な病巣:誰がこの「自食」を推奨しているのか
なぜ、これほど愚かな行為が繰り返されるのか。そこには構造的な「歪み」が存在する。この「自己捕食」において、短期的に得をする存在がいるのだ。それは、数字上の「予算の均衡」だけを目的とする官僚機構であり、分配のパイをいじくり回すことで権力を維持しようとする政治家たちだ。
彼らにとって、タコ(経済全体)が将来的に泳げなくなることは二の次である。重要なのは「今年の帳尻が合うこと」であり、「増税という実績」を作ることだ。彼らは、国民の生活という現場の匂いを知らない。机上の計算式の中で、民間の活力を「奪っても死なない資源」程度にしか考えていない。本来、国家の役割は、タコが外海へ獲物を捕りに行けるような環境を整えることのはずだ。しかし、いまの日本は、獲物を捕るための筋肉を削ぎ落とし、それを「財政健全化」という美名で包装している。
結論:税源という名の生命を破壊してはならない
私たちは、ある残酷な事実に気づかなくてはならない。「増税で税収を増やそうとする行為は、長期的には税源そのものを破壊する自殺行為である」という事実だ。
足のないタコは、二度と獲物を捕らえることはできない。一度破壊された消費心理や、疲弊しきった現役世代の活力は、数パーセントの減税程度で元に戻るほど単純なものではない。私たちが戦うべきは、目の前の増税だけではない。その背後にある、「成長を諦め、内側にあるものをむしり取ることで延命を図る」という縮小均衡型の思考回路そのものである。
国力を維持するために必要なのは、国民の財布を空にすることではなく、国民がその足を使って自由に泳ぎ、獲物を捕らえ、富を循環させるための「信頼」を築くことだ。もし、このまま自分の足を食い続けることを選ぶのなら、日本というタコを待ち受けるのは、空腹は満たされないまま、ただ移動能力を失って朽ち果てる「静かなる死」だけである。
今こそ、嘴を突き立てるのをやめよ。自分の身を食らうことで得られる一時の安寧は、未来へのもっとも残酷な裏切りである。私たちは、自分たちの「足」を、すなわち未来を切り開くための資本を守り抜かなければならない。
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