「卒業」を忘れた老害たちの学舎:なぜ日本の政治は「永遠の留年」を許すのか

毎日が「昨日」の焼き直しであるという絶望

朝、満員電車に揺られ、スマートフォンの画面を指でなぞる。流れてくるのは、裏金問題、失言、そして「検討」という名の放置。私たちはどこかで、この光景に既視感を抱いていないだろうか。何十年も前から、主な登場人物も、語られる言い訳も、そして問題の本質も、驚くほど変わっていない。

真面目に働き、税を納め、ルールを守る。その先に待っているはずの「より良い社会」という報酬は、いつの間にか蜃気楼のように消え去った。私たちは、ある種の徒労感の中に生きている。どれだけ声を上げても、どれだけ苦境を訴えても、社会の舵取りをする人間たちの顔ぶれは変わらず、その視線は国民ではなく、自身の身内や利権に向けられたままだ。

なぜ、この国はこれほどまでに停滞しているのか。なぜ、明らかな失敗を犯した者たちが、涼しい顔をして権力の座に居座り続けることができるのか。その答えは、現代日本という巨大な組織が、ある「特殊な学び舎」に変貌してしまったことにある。

「出口なきキャンパス」に漂う腐臭

想像してみてほしい。ある有名な大学のキャンパスがある。かつては優秀な人材を輩出した名門だが、今のそこは異様な空気に包まれている。

時計塔の針は止まり、校舎の壁にはツタが絡まり、教室には埃が積もっている。その中心に鎮座しているのは、もう何十年もこの大学に籍を置いている「超ベテランの留年生」たちだ。彼らは白髪混じりの頭を寄せ合い、古びたノートを回し読みしながら、いかにして「試験を受けずに済ませるか」「いかにして進級判定を先延ばしにするか」という談義に耽っている。

この大学には、奇妙なルールがある。どれだけ単位を落としても、どれだけ講義をサボっても、決して「退学」にはならないのだ。彼らは学問に興味などない。ただ、キャンパスという特権的な場所に居座り、学食の僅かな利権を貪り、後輩たちから集めた学費(税金)を自分たちの宴会代に充てる。それが彼らにとっての「学生生活」の本質なのだ。

新入生が期待に胸を膨らませて入学してきても、彼ら留年生は徒党を組んで嫌がらせをし、居場所を奪う。優秀な若者が革新的な研究を行おうとしても、「伝統を汚すな」「まだ早い」と老害たちが取り囲み、芽を摘んでしまう。

キャンパスの空気は淀み、カビの臭いが立ち込める。図書室の窓は割れ、中庭の噴水は枯れ果てているが、留年生たちは意に介さない。彼らにとって重要なのは、このぬるま湯のような環境を維持することだけだ。彼らは卒業を恐れている。なぜなら、一歩外に出れば、自分たちが何の実力もない、ただの「居座り続けただけの老人」であることが露呈してしまうからだ。

構造的な停滞:入れ替わらない血が組織を殺す

この「不気味なキャンパス」の情景こそが、現代日本の政治構造そのものである。

新入生(新勢力)を拒絶する閉鎖系

比喩における「留年生」とは、いうまでもなく、既得権益の上に胡坐をかく長期政権の担い手たちだ。彼らは「落選(退学)」さえしなければ、どれほど無能であっても、どれほど不祥事を起こしても、組織内の序列で高い地位に登り詰めることができる。

一方で、新しいビジョンを持った政治勢力や若手候補者は、この強固な「年功序列の壁」と「資金力の壁」に阻まれる。選挙区という縄張りは、留年生たちの世襲や利権によってガチガチに固められており、まともな「新入生」が入る余地など残されていない。結果として、政治の世界には新しい血が巡らず、古い細胞がいつまでも居座り続け、組織全体が壊死していく。

なぜ「退学」が執行されないのか

最大の悲劇は、本来ならば「退学」を宣告する権限を持っているはずの教授会や大学本部(つまりは有権者)が、機能不全に陥っている点にある。

留年生たちは、自分たちに都合の良いルールを自ら作り上げる。選挙制度、政治資金規制、公職選挙法。これらは全て、彼らが「居残り続けるため」の防波壁として機能している。失敗しても責任を負わず、説明責任を果たすふりをして時間を稼ぎ、世論が忘れるのを待つ。この「逃げ切り」の技術だけが、彼らが数十年の留年生活で身につけた唯一のスキルだ。

この構造で得をしているのは誰か。それは、変化を嫌い、現状の利権維持を望む一部の特権層だけである。それ以外の大多数の国民は、彼らの宴会の費用を払い続けるだけの「スポンサー」に過ぎない。

緊張感なき権力は必ず腐敗し、国を滅ぼす

「政権交代がない」ということは、単に選択肢がないという話ではない。それは、システムから「緊張感」という名の防腐剤が失われることを意味する。

どんなに素晴らしい理想を掲げていたとしても、監視の目がない、あるいは失敗してもクビにならないという保証のある場所では、人間は必ず怠惰になり、腐敗する。これは個人の資質の問題ではなく、構造の宿命である。

今の日本政治に必要なのは、より洗練された政策でも、心地よいスローガンでもない。「卒業できない留年生」を、強制的にキャンパスから追い出す仕組みの再構築である。

私たちが認識すべき核心は一つだ。「緊張感のない長期政権は、必ず腐敗する」

この淀んだ空気を一掃するためには、定期的に窓を開け、新鮮な空気(新しい勢力)を強制的に取り込むしかない。居座ることに特化した留年生たちに、これ以上この国の未来を委ねるわけにはいかない。

私たちがすべきは、彼らに「落第点」を突きつけ、校門から外へと叩き出すことだ。彼らが「卒業」を拒むのであれば、強制退学させる。その厳しさこそが、この国の活力を取り戻す唯一の特効薬なのだ。

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