乾いた喉と、浸水する足元の虚無
満員電車に揺られ、スマートフォンの画面を無機質にスクロールする。そこには、自分よりも少しだけ恵まれているように見える誰かへの罵詈雑言や、自分よりもさらに不遇な環境にいる誰かを見下す冷笑が溢れている。私たちは日々、説明のつかない焦燥感と、出口のない閉塞感に苛まれている。
どれほど身を粉にして働いても、手元に残る富は増えず、将来への不安は霧のように立ち込めて消えることがない。この「報われなさ」の正体は何だろうか。私たちが直面しているのは、単なる景気の停滞ではない。もっと根深く、もっと狡猾な「社会のバグ」である。
なぜ、私たちは本来連帯すべき隣人を敵に見なし、互いのわずかな取り分を削り合うことに執念を燃やすのか。その答えを探るために、ある極限状態の物語を想像してみてほしい。
出口のない迷宮:沈みゆく銀河丸の悲喜劇
想像してみてほしい。あなたは今、漆黒の夜の海をゆく巨大な豪華客船「銀河丸」の乗客だ。
船底には巨大な亀裂が入り、冷たい海水が容赦なく流れ込んでいる。異変に気づいた一部の乗客が騒ぎ出すが、船内放送は「航行に支障はない。各々、自分に割り当てられた役割を全うせよ」と平穏な声を繰り返すばかりだ。
浸水は止まらない。船体はゆっくりと、しかし確実に傾きつつある。だが、ここで奇妙な光景が繰り広げられる。
乗客たちは、協力して浸水を食い止めようとしたり、救命ボートを降ろそうとしたりはしない。彼らが血眼になって行っているのは、船の中で「少しでも高い位置にある座席」の奪い合いだ。
「俺はあいつより苦労してチケットを買ったんだから、このソファに座る権利がある」「あの女は働かずに優雅にしている、あいつを引きずり下ろしてこの椅子を俺に譲らせろ」
足元まで水が迫っているというのに、人々は隣人の胸ぐらを掴み、執拗に攻撃を繰り返す。窓の外では救助用のヘリコプターが旋回しているが、誰もそれを見上げようとはしない。彼らの視界にあるのは、自分に従順でない隣人の顔と、奪い取るべき小さな椅子だけだ。
怒号と悲鳴が響き渡る中、人々は「自分より下の人間」を見つけ出し、彼らが受けているわずかな便宜を糾弾することに心血を注ぐ。相手を打ち負かし、一瞬だけ高い位置にある席を確保した者は、勝利の美酒に酔いしれる。その数分後には、その席もろとも海底へ沈んでいくことも知らずに。
これが、私たちが生きるこの社会の縮図だ。
沈没船の座席争いという残酷な統治システム
この比喩を、笑い話や極限状態の狂気として片付けることはできない。なぜなら、これこそが現代社会で巧妙に機能している「分断統治」のメカニズムそのものだからだ。
弱者による「弱者叩き」というアナロジー
私たちが日々目にする光景を思い出してほしい。生活保護受給者の不正受給(たとえそれが微々たる割合であっても)に対する凄まじいバッシング、非正規雇用者が正規雇用者の既得権を叩き、逆に正規雇用者が非正規の権利拡大を「甘え」と切り捨てる構図。
これはまさに、沈没船の中で「自分よりもマシな席に座っている奴」を引きずり下ろそうとする行為に他ならない。本来、彼らが怒りの矛先を向けるべきは、船に穴を開けたメンテナンス不備や、浸水を隠蔽して逃げ出す準備をしている操舵室の人間、あるいは富を独占して高みの見物を決め込む最上階の住人であるはずだ。
しかし、現実はそうはならない。なぜか。
構造的な病巣と、微笑む支配層
この座席争いが維持されているのは、それが「支配層にとって最もコストの低い統治手法」だからである。
人々が互いに監視し合い、足を引っ張り合っている限り、怒りのエネルギーが「構造そのもの」や「システムの頂点」に向かうことはない。船底で水を汲み出すバケツを奪い合って喧嘩してくれればくれるほど、上層階にいる人々は安全に、そして優雅に逃げ出す時間を稼ぐことができる。
メディアやSNSは、この「内輪揉め」を加速させる触媒として機能する。センセーショナルな見出しで特定の属性の人々を悪者に仕立て上げ、大衆に「叩いていい対象」を提供し続ける。人々が互いの欠点を探し、道徳的優位性を競い合っている間、リソース(富と権力)の不均衡はさらに固定化されていく。
この構造の恐ろしさは、戦っている本人たちが「自分は正義を行っている」と信じ込まされている点にある。隣人を引きずり下ろすことは、不公平を是正することではなく、単に船が沈む速度を自ら早めているに過ぎないというのに。
結論:呪縛を解くための「冷徹な視点」
私たちは、もういい加減に気づかなければならない。隣人が手に入れた数万円の給付金や、わずかな休暇を妬み、それを奪い取ったところで、自分の取り分が増えるわけではない。むしろ、他人の権利を削ることに加担すればするほど、自分自身の権利もまた削りやすくなる「前例」を作っているだけなのだ。
社会構造の不条理を打破する第一歩は、この醜い座席争いから一歩引いて、船全体の状態を俯瞰することである。
「なぜ私たちはこんな狭い場所で、似たような境遇の者同士、首を絞め合っているのか?」
この問いを立てた瞬間、支配層が張り巡らせた「分断」の魔法は解け始める。支配層にとって最も好都合なのは、被支配層同士の足の引っ張り合いである。ならば、私たちが取るべき最善の反逆は、隣人の足を引っ張る手を止め、その手を隣人と繋ぐことだ。
沈みゆく船の中で、私たちは椅子を奪い合うのをやめ、協力して水を汲み出し、操舵室の責任を問わなければならない。そうしなければ、私たちは「誰かに勝った」という虚しい満足感と共に、等しく冷たい海の底へ消えていくことになるだろう。
視点を変えろ。敵は横にいるのではない、上にいるのだ。
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