源泉徴収という名の去勢:なぜあなたは「自由な市民」ではなく「養鶏場の鶏」として生きるのか

報われない努力の正体とその静かな絶望

朝、アラームの音とともに無理やり意識を引き剥がし、満員電車という名の鉄の箱に詰め込まれる。オフィスでは神経をすり減らす調整と、出口の見えないタスクに追われ、夜、疲れ果てて帰宅する。鏡に映るのは、数年前よりも生気を失った自分の顔だ。

多くのサラリーマンが、ふとした瞬間に強烈な徒労感に襲われる。「これほどまでに働いているのに、なぜ生活は楽にならないのか」という問いだ。給料袋を突き抜ける物価高、社会保険料の音を立てない上昇、そして「増税」という言葉がニュースで踊るたび、私たちは胸の奥に冷たい石を置かれたような感覚に陥る。

だが、この閉塞感の正体は、単なる景気の悪さではない。あなたがいくら努力しても報われないのは、能力が足りないからでも、努力が不足しているからでもない。あなたが「搾取されることが前提の構造」の中に、最初から組み込まれているからだ。

自動化された檻:完璧な「温度管理」が支配する世界

想像してみてほしい。あなたは、どこまでも続く広大な養鶏場の一角にいる。

そこは清潔で、年中快適な温度に保たれている。外の風が吹き抜けることもなければ、獣に襲われる恐怖もない。目の前のベルトコンベアからは、生きるために最低限必要な、栄養の計算し尽くされた飼料が規則正しく運ばれてくる。

あなたの仕事はただ一つ。「卵」を産むことだ。

朝が来ると、あなたは自動的に卵を産み落とす。その卵は、あなたが手元で愛でる間もなく、足元のスリットから吸い込まれ、どこかへ消えていく。その卵がどこへ運ばれ、誰の腹を満たしているのか、あなたには知る由もない。

隣の鶏も、その隣の鶏も、同じように無機質な顔をして卵を産み続けている。時折、飼育員がやってきて、「最近は卵の質が悪い」「もっと効率よく産めないか」と、もっともらしい顔で訓示を垂れる。そして、あなたが疲弊して卵の数が減りそうになると、ほんの少しだけ飼料の質を上げたり、照明の当たり具合を微調整したりして、あなたが「まだここでやっていける」と錯覚するように仕向ける。

この場所には出口がないわけではない。しかし、外の世界は荒廃しており、自力で餌を探すのは困難だ。何より、この「生かさず殺さず」の完璧な温度管理に慣れきってしまったあなたには、自分から檻を飛び出し、空を飛ぼうという気力さえ残っていないのだ。

源泉徴収という名の「痛みなき搾取」

この養鶏場のルールこそが、現代日本における「源泉徴収」という名の税制システムそのものである。

スリットへと消える卵:給与明細の偽り

サラリーマンの給与明細をじっくりと眺めたことがあるだろうか。額面という「幻想の数字」から、所得税、住民税、社会保険料といった名目で、驚くべき金額が天引きされている。これは養鶏場で産み落とされた卵が、あなたの手に触れる前にスリットから回収されていくプロセスと全く同じだ。

本来、税金を払うという行為は、自らの意思で財布を開き、血の滲むような労働の成果を国に差し出す痛みを伴う儀式であるはずだ。しかし、源泉徴収は、その「痛み」を巧妙にバイパスする。最初から「なかったもの」として処理されるからだ。これを「痛税感の欠如」と呼ぶ。納税者が自分がどれほど搾取されているかに無自覚であるからこそ、国家は反乱を恐れずに増税の議論を進めることができる。

自ら思考することを放棄した「家畜化」

このシステムの真の恐ろしさは、金銭的な搾取以上に、労働者の精神を「家畜化」することにある。

フリーランスや経営者は、自ら確定申告を行い、一円単位で経費を計算し、税金の使い道に目を光らせる。しかし、サラリーマンは、会社がすべてを代行してくれるという「利便性」と引き換えに、国家という巨大な装置に対して抗議する権利を実質的に放棄させられている。源泉徴収とは、労働者から「自律的な納税者」としての牙を抜き、従順な「卵を産む機械」へと変貌させる装置なのだ。

構造的な病巣と「飼育員」の利権

なぜ、これほどまでに不条理なシステムが維持されているのか。答えは単純だ。権力者(飼育員)にとって、これほど効率的な集金システムは他に存在しないからである。

  1. 確実な税収: 労働者が逃げる前に、あらかじめ「天引き」することで、徴税コストを極限まで抑えながら、確実なキャッシュフローを確保できる。
  2. 不満の霧散: 痛税感がないため、人々は社会保障費や軍事費の増大に憤るのではなく、せいぜい「今月の手取りが少し減った」という小規模な愚痴に終始する。
  3. 既得権益の保護: 複雑怪奇な税制と、それを取り巻く官僚組織は、この「自動搾取システム」を維持すること自体を自己目的化している。

この構造において、労働者はもはや市民ではない。統計学上の数字であり、予算を埋めるための資源に過ぎない。あなたがどれほど真面目に働き、家族を愛そうとも、システム側から見れば、あなたは「効率よく卵を供給し続ける個体」以上の価値を持たないのである。

「檻」を認識した時から、自由は始まる

核心を突こう。源泉徴収とは、痛税感を感じさせずに搾取する完璧なシステムである。そして私たちは、その温室の心地よさに甘んじ、自らの羽が退化していくのを黙って見過ごしてきた。

「生かさず殺さず」の管理は、確かに生存を保証してくれる。だが、それは自由ではない。国家が私たちの財布に直接手を突っ込み、残った「端数」で生活をやりくりさせるこの現状を、当然のものとして受け入れてはならない。

まず必要なのは、自分が「養鶏場の鶏」であることを自覚することだ。給与明細を冷徹に分析し、どれだけの「卵」が奪われているかを直視せよ。そして、その使い道に対して、一人の納税者として、一人の人間として、剥き出しの怒りを持つことだ。

思考を停止し、提示される条件にただ頷くだけの人生は、もう終わりにしなければならない。あなたが産み落とす価値は、あなた自身のものであり、国家の所有物ではない。失われた「痛み」を取り戻したとき、初めて私たちは、この精巧な檻から抜け出すための一歩を踏み出すことができるのだ。

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