「平和の檻」が自衛官を殺す日:ブレーキなき暴走トラックに揺られる日本の末路

誰のための「平和」という名の沈黙か

朝、満員の通勤電車に揺られ、スマートフォンで流れてくるニュースを眺める。そこには、隣国の軍事的挑発や、果てしなく続く遠い国の戦火が映し出されている。私たちはどこか「明日は我が身ではない」と自分に言い聞かせながら、日常という名の安穏にしがみついている。しかし、その足元が、今にも崩れ落ちそうなほど腐朽していることに気づいているだろうか。

私たちの国を守るはずの組織が、実は法律という名の「身動きの取れない鎖」に縛り付けられているという事実。国民が享受する平和の裏側で、誰かが理不尽なまでの「徒労感」と「死の恐怖」を押し付けられている。なぜ私たちは、この明らかな矛盾から目を逸らし続け、思考を停止させているのか。私たちが信奉する「平和主義」は、もはや手段ではなく、誰かの尊厳を削り取るための残酷な免罪符へと変質している。

「ブレーキ」を奪われた巨大な鉄塊の行方

想像してみてほしい。あなたは今、山あいの険しい下り坂を走る巨大なトラックの運転席に座っている。そのトラックは「日本」という名の重い荷物を満載し、加速を続けている。

コクピットには立派なハンドルがついている。これが、私たちが誇る「憲法9条」だ。あなたは必死にハンドルを握り、コースを外れないように集中している。しかし、ある瞬間に気づく。足元のブレーキペダルが、床に溶け込んだかのようにびくともしないのだ。あるいは、最初からペダルなど存在しなかったのかもしれない。

眼下には急カーブが迫っている。速度計の針は危険域を指し、エンジンの唸り声は悲鳴に変わる。助手席に座る政治家たちは「大丈夫だ、ハンドルさえ握っていれば道は逸れない。それが我が国の安全運転の哲学だ」と、微笑みながら紅茶を啜っている。

もし、このままカーブを曲がりきれずに衝突事故を起こしたらどうなるか。トラックは大破し、荷物は散乱する。その時、真っ先に糾弾されるのは、ブレーキがないことを知りながら運転席に座らされていた「あなた」だ。「なぜもっと早く止まらなかったのか」「なぜ無理な運転をしたのか」と。あなたがたとえ、自分の身を挺して誰かを守ろうとしても、その行為は「交通操作の誤り」として処断される。これが、このトラックに課せられた残酷なルールなのだ。

憲法という聖域と、放置された戦場のリアル

この比喩が示す現実は、笑えないほどに深刻だ。私たちが直面しているのは、有事法制の不備と、憲法9条を巡るあまりにも不誠実な議論の空白である。

「交戦規定」という名の欠落したブレーキ

現実の自衛隊において、この「ブレーキ」に相当するのがROE(交戦規定)である。他国の軍隊であれば、どのような状況で武器を使用し、どこまでが正当な任務であるかが厳格な法律によって規定され、その枠内での行動は「国家の行為」として守られる。

しかし、日本はどうだ。自衛隊は「軍隊ではない」という建前を維持するため、ポジティブリスト(やっていいことだけを書き出す方式)に基づいた極めて制限的な行動しか許されていない。いざ有事となって隊員が弾を放ったとき、日本国内の法律では「過剰防衛」や「殺人罪」に問われる可能性すら残されている。ハンドル(平和憲法)があるから大丈夫だと叫ぶ陰で、現場の人間には、法的な盾すら与えられていないのである。

思考停止が生んだ構造的加害

なぜこの不条理な構造が維持されているのか。それは、この曖昧な状態が政治家にとって最も「都合が良い」からだ。

憲法改正という高コストな政治課題に正面から向き合えば、支持層は割れ、激しい批判にさらされる。ならば、「平和の守り手」という美辞麗句で自衛隊を飾り立てつつ、万が一の事態が起きた際の責任はすべて現場に押し付けられる今の状態を維持する方が、彼らにとっては合理的だ。

私たちが「平和」を語る時、そのコストを支払っているのは、常に現場の隊員たちだ。彼らは、国民の安全を守るために命をかけることを誓わされているが、国家はその彼らを法的に守ることを拒否している。これは、組織による組織的な「棄民」に他ならない。

結論:手足を縛る「偽りの平和」を終わらせる

「手足を縛ったまま喧嘩をさせるのは、平和主義ではなく加害行為である」。

この一文を、私たちは冷徹に受け止めなければならない。武器を持った専門集団を、法的な「穴」の中に放置しておくこと。それがいかに危険で、人道に反するか。私たちは、暴力の行使者を透明化し、汚い仕事を押し付けることで、自分の手が汚れていないと錯覚したいだけではないのか。

本当の平和主義とは、理想を語るだけでなく、最悪の事態においてさえも「正義」が法的に保証されるシステムを構築することだ。ブレーキのないトラックを走らせ続けることは、運転手への虐待であり、進む先にある全ての人々へのテロ行為である。

私たちは、憲法9条というハンドルを大切にしたいと願うならば、同時に「正当なブレーキ」を法として整備する責任がある。現場の自衛官が、逮捕される恐怖に怯えながら国を守るような歪な構図をいつまで許し続けるのか。

今こそ、この不条理な「平和の檻」を壊さなければならない。一歩間違えれば、その檻そのものが、私たち全員を押しつぶす暴力の塊へと変貌するのだから。

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