解約ボタンのない人生:なぜ私たちは「身に覚えのないサブスク」に一生を搾取され続けるのか

終わりのない請求書に支配される日常

朝、目が覚めると同時に私たちの脳内に去来するのは、清々しい希望などではない。今月もまた、銀行口座から音もなく消えていく「正体不明の支払額」への漠然とした不安だ。

真面目に働き、節約に励み、贅沢を最小限に抑えているはずなのに、なぜか手元にお金が残らない。物価上昇の波に晒され、昇給の兆しは見えず、生活の質は緩やかに、しかし確実に削がれていく。この閉塞感の正体は、単なる景気の停滞ではない。私たちの生活というOSの根幹に、本人の同意なくインストールされ、しかもアンインストールが不可能な「極悪なプログラム」が組み込まれているからだ。

「なぜ、私たちはこれほどまでに報われないのか?」という問いを、今一度自分自身に投げかけてみてほしい。その答えは、私たちが無意識に受け入れている「社会の契約形態」そのものに隠されている。

想像してほしい、出口のない「デジタル監獄」のルールを

ここで、ある奇妙な物語を想像してみてほしい。

あなたは最新のスマートフォンを手に入れた。しかし、箱を開けた瞬間から、画面には見たこともないアプリがひしめいている。一度も起動したことがなく、アイコンを長押ししても「削除」の文字は現れない。それどころか、そのアプリはあなたが眠っている間も、スマートフォンのバッテリーを食いつぶし、毎月の通信料に勝手に「サービス利用料」を上乗せしてくる。

あなたは憤り、カスタマーセンターに電話をかける。「契約した覚えはない。一度も使っていないから、今すぐ解約させてくれ」と。しかし、電話口のオペレーターは冷徹な声でこう告げる。

「お客様、これは『公共の利益』のためのアプリです。この端末をお持ちである以上、利用の有無にかかわらず、死ぬまで料金を支払い続ける義務があります。解約ボタン? そんなものは、最初から設計されておりません」

この世界では、あなたがどれだけ節電しても、画面を暗くしても、裏側で回っている「見えない課金」を止めることはできない。あなたが必死に働いて稼いだ対価の一部は、あなたが望まないサービスの維持費として、自動的に吸い上げられていく仕組みだ。このシステムは、あなたの合意を必要としない。端末を所有しているという、ただそれだけの事実を根拠に、あなたの財布に直接パイプを通し、永久に中身を抜き取り続けるのだ。

そこには、資本主義の根幹であるはずの「選択の自由」など存在しない。あるのは、所有という行為を罪とした「終身刑」に似た不条理なルールだけである。

現代社会という名の「強制契約型」サブスクリプション

この悪夢のような寓話は、絵空事ではない。私たちが生きるこの国の、厳然たる事実である。

「公共性」という名の不可侵な免罪符

NHK受信料や再エネ賦課金。これらはまさに、この「解約ボタンのないサブスク」の現実世界における姿だ。かつて放送やインフラが稀少だった時代、「公共の福祉」という理念は確かに機能していたかもしれない。しかし、技術が高度に発達し、選択肢が無数に存在する現代において、その論理はもはや「集金の正当化」に使われるレトリックへと変質している。

「テレビを設置したから」「電気を使っているから」という、生活に不可欠なインフラとの抱き合わせによって、私たちは本人の意思とは無関係に、巨大な集金システムの一部として組み込まれる。これは自由意志による契約ではなく、事実上の「賦課金」であり、税金と呼ぶにもおぞましい強制徴収の変種である。

構造的な病巣と、利益を享受する者たち

なぜ、これほどまでに合理的でないシステムが維持されるのか。答えは単純だ。この「強制契約」のパイプの先に、その滴り(滴り)を待つ巨大な利権構造があるからだ。国民がどれだけ疲弊しようとも、自動的に、かつ確実に転がり込んでくる巨額の資金。この「努力不要の集金」は、既得権益者にとっては麻薬と同じである。一度手にした蜜を、彼らが自ら手放すはずがない。

「公共性」という盾を構え、その裏側で、自分たちの地位や組織の存続を最優先する。そこには、サービスの質の向上や、コスト削減へのインセンティブなど働かない。なぜなら、顧客(国民)に解約という最大の拒否権が与えられていないからだ。競争のない市場に、健全な進化など期待できるはずもないのである。

公共性を盾にした「合法的略奪」を直視せよ

私たちは、この不条理を「仕方がないこと」として片付けてこなかったか。「社会のルールだから」「皆が払っているから」という思考停止こそが、このシステムを肥大化させる。しかし、今私たちが直視すべきなのは、これが単なる契約の不備ではなく、「公共性を盾にした、合法的かつ強制的な集金システム」であるという残酷な事実だ。

企業が提供するサブスクリプションであれば、価値がなければ即座に解約される。それが市場の健全さである。しかし、国やその周辺組織が設計したこのシステムには、その自浄作用が完全に欠落している。

「解約ボタン」が存在しない社会において、私たちは顧客ですらない。ただの「供給源」として定義されているのだ。

この構造を突き崩すのは、制度への盲従ではなく、この仕組みがどれほど私たちの人生の自由度を奪っているかという、猛烈な「違和感」を言語化することから始まる。身に覚えのない請求書が届き続ける異常さに、私たちはもっと怒るべきなのだ。自分たちの生活を、これ以上「合法的略奪」に差し出してはならない。

自由とは、選択できることだ。そして今、私たちの目の前に提示されているのは、「選択肢のない未来」という名の、あまりにも高価で、あまりにも醜い請求書なのである。

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