「対立」という名の共犯関係:なぜ日本の政治は「八百長のスパーリング」から抜け出せないのか

鳴り響かないゴングと、予定調和のクリンチ

朝、満員電車に揺られながらスマートフォンの画面をなぞる。そこには、国会で声を荒らげる野党議員と、それを冷淡にあしらう閣僚の姿が映し出されている。「またやっているのか」という既視感とともに、あなたは深い溜息をつく。

増税、物価高、社会保障の崩壊。私たちの生活は確実に削り取られている。それなのに、テレビの向こう側で繰り広げられる論戦は、どこか浮世離れし、熱量を欠いているように見えないだろうか。怒りは叫ばれ、追及は行われる。しかし、その刃が権力の中枢を真に射抜くことは、驚くほど稀だ。

私たちは、いつからこの「変わらない風景」を、諦めとともに受け入れるようになったのか。なぜ、どれほど批判が高まっても、政治の力学は微動だにしないのか。その答えは、私たちが目撃しているものが「真剣勝負」ではなく、巧妙に作り込まれた「演劇」であるという事実に隠されている。

華やかなリングの裏側、血の流れない格闘技

想像してみてほしい。ある格闘技のジムに、絶対的な「王者(チャンピオン)」が君臨している。その王者は長年その座を譲らず、ジムの富と権力を独占している。しかし、王者が王者であり続けるためには、一つの条件が必要だ。それは「防衛戦」を定期的に行い、自分が強いという事実を大衆に示し続けることである。

そこで雇われているのが、あなた、つまり「スパーリングパートナー」だ。

あなたの仕事は、リングの上で王者の対戦相手を演じることだ。観客の前では、いかにも本気で殴りかかっているように見せなければならない。鋭いジャブを放ち、時には王者をロープ際まで追い詰め、観客を熱狂させる。見ている人々は「今度こそ王者が入れ替わるかもしれない」と手に汗を握るだろう。

しかし、あなたには絶対に破ってはならない「裏のルール」がある。それは、「決して王者をKOしてはならない」ということだ。

もしあなたが本気を出し、王者の顎を撃ち抜いて失神させてしまったらどうなるか。興行は台無しになり、ジムのスポンサーは激怒し、あなたはその日のうちに解雇されるだろう。あなたの給料は、王者が王者であり続けるための「引き立て役」を完遂することに対して支払われているからだ。

リングの上の怒声も、激しい打ち合いも、すべては観客を満足させるためのルーチンワークだ。試合が終われば、舞台裏で王者とあなたは肩を組み、今日の「演出」の出来栄えを論評し合う。そこにあるのは、敵対心ではなく、共通のビジネスを維持しようとするプロフェッショナル同士の連帯感である。

構造化された「擬似対立」という制度

このグロテスクな師弟関係こそが、現代日本の政治構造、とりわけ「国対(国会対策)政治」と呼ばれるものの正体である。

「万年野党」という安泰な椅子

現実の政治において、与党という「王者」を輝かせるためには、批判を一身に引き受け、かつ決定的なダメージを与えない「スパーリングパートナー」が必要だ。これが、日本の万年野党の本質的な役割である。

彼らは国会というリングで、鋭い言葉を投げかける。疑惑を追及し、不祥事を糾弾する。しかし、その多くは「審議拒否」や「強行採決へのパフォーマンス」といった、手続き上の様式美に終始する。彼らにとっての最大のリスクは、政権を奪取し、自らが責任ある「責任者」になることだ。なぜなら、批判する側であれば、自らの無策や矛盾を棚に上げ、正義のポジションから給料を得続けることができるからだ。

「国対」という名の談合システム

H3: 構造的な病巣:なぜこの茶番は続くのか

この構造が維持されるのは、システム全体がそれを望んでいるからだ。与党にとっては、野党に適度な批判をさせることで、「民主主義が機能している」というポーズを国際的・国内的に示すことができる。一方、野党にとっては、本気で政権を倒しにいくよりも、予定調和の反対運動を繰り返す方が、組織の維持と政党交付金の獲得において「ローリスク・ハイリターン」なのである。

ここには「八百長」のインセンティブが働いている。与野党の国会対策委員たちが事前に「出口(落とし所)」を話し合い、どのタイミングで採決し、どの程度の抗議を見せるかを打ち合わせる。この裏打ち合わせによって、政治という巨大な興行は破綻なく回り続ける。彼らが守っているのは、国民の生活ではない。自分たちが「政治というプロレス」を演じ続けられる安定的な職場環境なのだ。

このシステムにおいて、得をしているのは誰か。それは、変化を拒む既得権益層と、それを温存することで議席を確保する政治家たちだ。そして、最も割を食っているのは、リングサイドで本物の解決を期待しながら、演出された熱狂に騙され続けている私たち国民である。

「対立」というビジネスモデルを解体せよ

「対立しているように見せること自体が、彼らのビジネスモデルである」

この冷酷な真実を直視することからしか、私たちの再生は始まらない。野党が叫ぶ「政治を正す」という言葉も、与党が掲げる「責任ある政治」という看板も、スパーリングパートナーとその雇い主が交わす合言葉に過ぎないのではないか。

私たちは、リングの上で繰り広げられる「予定調和の殴り合い」を、真剣な眼差しで評価するのをやめるべきだ。どれだけ華麗なステップを踏もうと、どれだけ激しい言葉を吐こうと、結果として現状が固定化されているのであれば、それは「共犯関係」の現れに他ならない。

本当の変革は、スパーリングパートナーが本気で王者を倒しにかかる時、あるいは観客がこの「出来レース」を見限り、リングそのものを破壊しようとする時にのみ訪れる。

「どちらが勝つか」という問いを捨てよ。「なぜ彼らは戦っているふりをし続けられるのか」という問いを持て。政治家たちが最も恐れているのは、私たちがこの不都合な構造に気づき、彼らの提供する「エンターテインメントとしての政治」に、一円の価値も見出さなくなることなのだから。

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