報われない「正直者」の絶望と沈黙
毎日、額に汗して働き、信号を守り、納税の義務を果たす。私たちは、この社会の細かなルールを遵守することで、最低限の安全と予測可能な未来を担保してきたはずだ。しかし、最近、私たちの心の奥底で形容しがたい「違和感」が凝り固まってはいないだろうか。
ニュースで流れる、外国人による暴力事件や組織的な窃盗。明らかな証拠があり、現行犯に近い形で逮捕されたはずの容疑者が、なぜか「不起訴」という不可解なブラックボックスへと消えていく。一方で、一般市民がうっかり犯した微罪や、交通違反には、機械的かつ無慈悲なまでの法執行がなされる。
「なぜ、あいつらはお咎めなしで、私たちは追い詰められるのか?」
この不条理な問いは、単なる排外主義ではない。私たちがこれまで信じてきた「社会のOS(基本原則)」が、音を立てて崩壊し始めていることへの本能的な恐怖である。私たちは、自分たちが守っているルールの価値が暴落していることに、薄々気づき始めているのだ。
出口のないスーパーマーケット:選別される罪
想像してみてほしい。あなたは、街で唯一の巨大なスーパーマーケットに買い物に来ている。入り口には屈強な警備員が立ち、鋭い眼光で客の動きを監視している。店内の至る所に「万引きは犯罪です」というポスターが貼られ、監視カメラが死角なくあなたを追っている。
あなたはレジに並び、パン一つの代金を正当に支払おうと財布を取り出す。その時、あなたの目の前を、カゴ一杯に高級牛肉や酒を詰め込んだ男が、悠然と通り過ぎていく。男はレジを無視し、出口へと向かう。
あなたは驚いて警備員を見る。しかし、警備員は男と目が合っているにもかかわらず、まるで透明人間でも見ているかのように視線を逸らし、あくびを漏らした。それどころか、鞄から小銭を出し遅れたあなたの背中を指差し、「早くしろ、後ろが詰まっているだろう」と威圧的な声を上げるのだ。
「あの男は払っていませんよ!」とあなたが叫んでも、警備員は冷笑を浮かべるだけだ。「彼には彼なりの事情がある。我々のマニュアルでは、あれは『なかったこと』にする決まりになっているんだ」
不条理な光景はそれだけではない。店内の掲示板には、かつて万引きで捕まった近所の老人の写真が、「社会の敵」として晒されている。一方で、店の奥では大きな穴が開いており、そこから大量の商品が運び出されているが、店主も警察も、その穴の存在自体を否定している。
あなたは思うだろう。ここで代金を払うことに、一体何の意味があるのか? 正直に生きることが、ただの「搾取されるための資格」に成り下がってはいないか?
均衡を失った天秤の正体
この悪夢のような光景は、現在の日本社会の写し鏡である。
「不起訴」という免罪符による法治の空洞化
「万引きを黙認する警備員」の正体は、特定の外国人犯罪に対して異常なまでの配慮を見せる、現在の司法当局そのものである。統計上、明らかな犯罪事実があるにもかかわらず、起訴猶予や処分保留となるケースが、特定の国籍や背景を持つ者に対して偏っているという疑念が拭えない。
本来、法は「誰が犯したか」ではなく「何が行われたか」を問うべきものだ。しかし、現在の運用は、そのベクトルが逆転している。政治的配慮、国際関係のしがらみ、あるいは単なる「面倒を避けたい」という事なかれ主義。それらが法の女神の目隠しを剥ぎ取り、その天秤を露骨に傾かせている。
構造的な病巣:誰がこの「沈黙」を望むのか
なぜ、このような不平等が維持されるのか。それは、法を厳格に適用することよりも、「摩擦を起こさないこと」を優先する組織の病理があるからだ。外国人犯罪を厳しく取り締まれば、人権団体や国際社会からの批判を浴びる可能性がある。一方で、おとなしい日本国民を締め付ける分には、何の反発も起きない。司法にとって、国民は「管理しやすい対象」であり、特定の属性を持つ人々は「触れると厄介な火種」なのだ。
この構造が生み出すのは、究極の「正直者が馬鹿を見る」社会である。ルールを守る側がコストを支払い、破る側が利益を得る。このインセンティブ設計が定着したとき、社会の規律(モラル)は内側から腐敗していく。
法治国家の看板を下ろし、「人治国家」へ至る道
私たちは今、歴史的な分岐点に立っている。「法治国家」とは、統治者が己の裁量で裁くのではなく、あらかじめ定められたルールを全員に等しく適用することで成り立つ。しかし、特定の者には笛を吹かず、善良な市民の微罪だけを取り締まる現状は、もはや法治ではない。それは、裁く側の胸三寸でルールが書き換わる「人治国家」への退行である。
かつて、法は弱者を守る盾であり、強者を縛る鎖であった。しかし、現在のそれは、弱者を縛る鎖となり、特定の強者(あるいは特権的属性を持つ者)を逃がすための網目となっている。
私たちが突きつけられているのは、「もう一度、法の平等を取り戻すのか」それとも「このまま不条理に慣れ、奴隷のように沈黙し続けるのか」という選択である。
今回の本質は、単なる治安の悪化ではない。国家という共同体の根幹である「信頼」という契約が、一方的に破棄されつつあるという事実だ。法がその色を失い、相手によって形を変えるのであれば、私たちはもはやその法に従う道徳的根拠を失ってしまう。
法治国家の看板が、虚しく風に揺れている。その裏側で、私たちは「人治」という暗黒の中を、手探りで歩まされているのだ。今、声を上げなければ、次に「なかったこと」にされるのは、あなたの権利そのものかもしれない。
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