私たちの「豊かさ」が、なぜこれほどまでに虚ろなのか
夕刻のニュースで読み上げられる日経平均株価の終値。数十年ぶりの最高値を更新したというキャスターの言葉に、あなたは一縷の希望を感じたことがあるだろうか。あるいは、スマートフォンの投資アプリを開き、含み益の数字を眺めて溜息をついたことはないだろうか。
株価は上がっている。数字の上では、この国は極めて順調に見える。しかし、私たちの暮らしはどうだ。スーパーの棚に並ぶ食品は静かに、しかし確実に値を上げ、給与明細の数字はインフレの波に呑まれて実質的な重みを失っている。街を歩けば、閉まったままのシャッター通りや、将来に怯えながら最低賃金で労働を切り売りする若者の姿が目につく。
「景気は回復基調にある」という大本営発表と、肌身で感じる閉塞感の間にある、この圧倒的な乖離。なぜ、私たちはこれほどまでに「報われない」と感じるのか。その答えは、私たちが熱狂しているその「右肩上がりのグラフ」の正体に隠されている。
競技場の外が見えない「ドーピング・ランナー」の末路
想像してみてほしい。ある陸上競技のスター選手がいる。彼はかつて、自らの脚力だけで世界を熱狂させた英雄だった。しかし、ある時期を境に彼の肉体は衰えを見せ始める。ファンは失望し、スポンサーは離れようとした。
そこで、彼の「コーチ」である国家は、ある決断を下す。彼に「特殊な薬品」を投与し続けることにしたのだ。
その薬は劇的だった。投与された瞬間、彼の筋肉は異常なほど膨れ上がり、どんな強敵をも圧倒するスピードを手に入れた。競技場に詰めかけた観客は狂喜乱舞し、彼を「奇跡の復活を遂げた超人」と崇めた。しかし、誰一人として、彼のユニフォームの下で不自然に脈打つ血管や、虚ろな眼差しには気づかない。
薬を打ち続けなければ、彼は一歩も動くことができない。それどころか、あまりに長期間、外部からホルモンを注入され続けた結果、彼の肉体は自らエネルギーを作り出す機能を完全に喪失してしまった。心臓は肥大し、内臓はボロボロだ。コーチは、薬の量を減らせば彼がその場で崩れ落ち、二度と立ち上がれなくなることを知っている。だから、副作用の恐怖に震えながらも、さらに強力なシリンジを突き立てる。
もはや、彼はスポーツ選手ではない。薬品によって維持される「生ける展示物」に過ぎないのだ。
官製相場という名の巨大な点滴
このグロテスクな寓話が描いているのは、現在の日本経済そのものである。
市場から「自浄作用」を奪った劇薬
「コーチ」である日本銀行、そして政府は、過去十数年にわたり「ETF買い入れ」という名の巨大なドーピングを市場に打ち続けてきた。中央銀行が民間企業の株を直接買い支えるという、資本主義のルールを根本から破壊する禁じ手。これにより、本来なら淘汰されるべきゾンビ企業が生き残り、投資家の選別眼は曇らされた。
株価が下がれば日銀という「クジラ」が買い支えてくれる。その安心感(モラルハザード)が、マーケットを健全な競争の場から、政府の点滴で命を繋ぐ飼育小屋へと変貌させたのだ。
蝕まれる市場の神経系
副作用はすでに、取り返しのつかないレベルに達している。中央銀行が筆頭株主として君臨する市場では、もはや適切な価格発見機能などは働かない。どの企業の経営が正しく、どの事業に未来があるのか。それを判断する「価格」という名の情報伝達系が麻痺してしまったからだ。
薬を抜け(買い入れを止め)れば、選手(日本株)は禁断症状で発狂し、スタンドの観客(国民)を巻き込んで自滅する。だから、誰も真実を言えないまま、さらなる薬を要求し続ける。これが「市場機能の麻痺」という恐ろしい副作用の正体だ。
実体経済と乖離した株価は、国家規模の粉飾決算である
なぜこの構造は維持されるのか。それは、このドーピングによって「得をする」層が、政策決定権を握っているからに他ならない。
帳簿上の資産価値を膨らませ、あたかも経済が成長しているかのように見せかける。その「張りぼての繁栄」の裏で、富を享受するのは一部の資産家階級と、自らの任期中に破局を迎えたくない政治家たちだ。彼らは、未来の世代から健康な肉体を奪い、その分を現在の「見栄え」に変換して消費している。
私たちが日々感じている閉塞感の正体は、この「嘘」に対する本能的な直感だ。私たちは、自力で走ることのできない選手の姿を、本物だと思い込まされている。実体経済が伴わない株価の上昇は、投資という名の「未来への賭け」ではなく、国家規模で行われている壮大な「粉飾決算」に過ぎない。
審判の日は、静かに、しかし確実に訪れる
私たちは今、大きな分岐点に立っている。「薬漬けの成長」という幻想に酔いしれ続け、最後には臓器不全で倒れるのを待つのか。それとも、激しい離脱症状を覚悟してでも、真の意味での「健康な肉体(実体経済)」を取り戻すための外科手術に踏み切るのか。
必要なのは、好景気に見える数字を疑う勇気だ。権力者の語る「株価最高値」という甘美な言葉を、毒薬の成分表として読み解くリテラシーだ。
本当の豊かさとは、中央銀行の不自然な買い支えによって作られるものではない。それは、人々の創意工夫、企業の健全な新陳代謝、そして明日への希望が積み重なった結果として、自然に溢れ出すものであるはずだ。
「実体経済と乖離した株価は、国家規模の粉飾決算である」
この現実を直視すること。そこからしか、私たちはこの出口のないドーピング・ゲームから抜け出し、再び自分たちの足で歩き出すことはできない。鏡に映った「偽りの筋肉」を自慢する時間は、もう終わりだ。私たちは、自分たちの国がどれほど病んでいるかを認め、その痛みを引き受ける覚悟を持たなければならない。
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