「海外では当たり前」という呪文の正体:私たちが「翻訳された聖書」を崇める理由

震える手で開く「福音書」という名の毒杯

朝、スマートフォンを手に取り、いつものようにニュースフィアプリを開く。そこには「日本は遅れている」「欧州ではこれが常識」「米国では既に導入されている」という、いかにも知的な断定が並んでいる。それらを目にするたび、私たちは言いようのない焦燥感と、自国に対する失望感に襲われる。

「なぜ日本は、いつまでもこの古臭い体質から抜け出せないのか」

私たちは、そのニュースが提示する「正解」を疑うことなく飲み込む。自分たちの生活が苦しいのは、自分が報われないのは、この国がアップデートされていないからだ――。そう信じ込むことで、一時的な納得感を得る。だが、その納得感こそが、巧妙に仕掛けられた罠であることに気づいている者は少ない。私たちは、誰かが意図的に書き換えた「翻訳された聖書」を、世界の真実だと誤認させられているのだ。

出口のない祈祷室と「見えない翻訳者」

想像してみてほしい。あなたは、ある閉鎖的な村に住んでいる。村人たちは皆、外の世界を見ることが禁じられ、唯一、教会の司祭がもたらす「聖書」だけが外の情報を知る手段となっている。

その聖書には、神の言葉としてこう記されている。「遥か彼方の楽園では、人々はみな私有財産を捨て、教会に全てを捧げている。そうすることで、病も悩みもない永遠の幸福を得ている」と。村人たちはその言葉を信じ、自分の僅かな蓄えを差し出し、汗水垂らして働いた成果を差し出す。なぜなら、それが「神の意志」であり、「進んだ世界の常識」だと教えられているからだ。

しかし、その聖書を翻訳している司祭の横顔を覗き見れば、事実は全く異なる。原典である聖書には、実は「人々は自由を謳歌し、自らの手で未来を切り拓いている」と書かれているのだ。司祭は、自分の支配体制を維持し、村人から効率よく搾取するために、都合の悪い箇所を黒く塗りつぶし、都合の良い嘘を神の言葉として「超訳」している。

村人たちは、司祭が翻訳した偽りの聖書を胸に抱き、今日も祈りを捧げる。本当は自分たちを縛り付けている鎖の招待が、その「神の言葉」そのものであるとも知らずに。彼らの信仰心は深ければ深いほど、村の外にある本当の風景からは遠ざかっていく。

メディアという名の偏向した翻訳機

この歪な祈祷室の光景は、現代日本における海外ニュースの受容の形そのものである。

「出羽守論法」という名の切り取り工作

私たちが日々目にする「海外では〜」という言説の多くは、一次情報という「原典」から都合の良い部分だけを抽出した、極めて悪質な切り取りである。メディアは、自らが推進したいアジェンダ(特定の政策や思想)に合致する事例だけを、海外から持ち帰ってくる。「北欧の高福祉」を称賛する裏で、その高い税負担や、移民問題による治安悪化の現実は伏せられる。「米国の実力主義」を礼賛する裏で、膨大な医療費問題や格差の拡大については、あたかも存在しないかのように扱われる。

これらは単なる翻訳ミスではない。読者の「日本という国に対する劣等感」を煽り、特定の方向へ世論を誘導するための「意図的な創作」なのだ。

権威のロンダリングと構造的搾取

なぜ、このような構造が維持され続けるのか。それは、海外の権威(神の言葉)を借りることで、自らの主張を無敵化できるからだ。論理的に日本の現状を批判するよりも、「海外ではこうだ」と突きつける方が、議論を封殺する力は強い。

ここで得をしているのは、情報を加工・配信するメディアであり、その背後にいる特定の利益団体である。彼らは「海外の進歩的な事例」を導入せよと叫ぶことで、既存の日本的社会構造を破壊し、自分たちに都合の良い新しいルールを構築しようとする。読者が「日本はダメだ」と思い込めば思い込むほど、彼らの「改革」という名のビジネスは加速する仕組みだ。

9割の「出羽守」は、都合の良い創作を語る

「海外では〜」という出羽守論法の9割は、結局のところ、翻訳者という名のメディアによる都合の良い切り取りに過ぎない。

私たちが本当にすべきことは、差し出された「翻訳された聖書」を無批判に拝むことではない。その背後にいる翻訳者の意図を疑い、可能であれば自らの手で「原典」にあたることだ。一次情報に触れることが容易になった現代において、私たちはまだ、権威という名のフィルター越しにしか世界を見ようとしない。

「世界はこうなっている」という心地よい、あるいは絶望的な福音に耳を塞ぐ勇気を持て。私たちが本当に戦うべきは、自国の停滞ではなく、私たちの目を曇らせ、劣等感を植え付けることで利益を得ようとする「翻訳者たち」の傲慢さである。

真実の世界は、テレビの向こう側や、SNSのタイムラインで踊るような、単純で美しいものではない。捏造された福音を捨てること。それが、私たちが知的奴隷状態から脱せられる唯一の道である。

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