額の汗が、虚空へと消えてゆく絶望の正体
朝早くから満員電車に揺られ、理不尽な上司の叱責に耐え、己の時間を摩り下ろして手に入れたその金。あなたはそれを「自分のもの」だと信じている。家族の未来を守り、子供に自分以上の教育を授け、何世代にもわたる豊かさの礎を築くための神聖な財産だと。
だが、現実はどうだ。額面通りの給与を手にする前に所得税が引かれ、買い物をすれば消費税が奪われる。ようやく残った「死に金」を貯蓄に回し、運用すればそこからも利益が削られる。そして最後、人生のゴールテープを切った瞬間に、待ってましたと言わんばかりに国家という名の巨大な手が、あなたの遺した全てを掴み取ろうと動く。
なぜ、私たちはこれほどまでに働いているのに、一族の繁栄を実感できないのか。なぜ、豊かさは蓄積されず、薄氷の上に立つような不安だけが増幅していくのか。その答えは、現代日本が巧妙に偽装された「資産の墓場」であるという事実に集約される。
出口のない河原で、永遠に続く「積み石」の儀式
想像してみてほしい。あなたは今、霧が立ち込める薄暗い河原に立っている。足元には大小様々な石が転がっている。周りを見渡せば、同じように青白い顔をした人々が、黙々と石を積み上げている。その石の一つひとつは、彼らが人生で流した汗であり、我慢した贅沢であり、愛する者への祈りそのものだ。
「これを高く積み上げれば、子供たちが向こう岸に渡れるようになる」その一心で、あなたは腰の痛みに耐えながら石を積み上げる。一段、また一段。指先が血に滲んでも、愛する我が子の笑顔を思い浮かべれば、その痛みすら尊いものに思える。
しかし、土塔がようやく形を成し、明日には完成するというその時、地響きと共に巨大な影があなたの背後に現れる。筋骨隆々の「鬼」だ。鬼は何も言わず、ただ冷笑を浮かべながら、あなたが一生をかけて積み上げた石の塔を、その巨大な棍棒で一振りする。
ガラガラと崩れ落ちる石の音。「ああ……!」叫ぶあなたの声は霧に吸い込まれる。鬼は崩れた石の半分を無慈悲に持ち去り、残された瓦礫の山を指してこう言い放つ。「また明日から、積み直せ」
これが、あなたの子供、そして孫の代まで繰り返される。何度積んでも、完成する直前に鬼が来る。三代も繰り返せば、そこには石一つ残らない。河原には、ただ虚無だけが反乱している。ここでは「蓄積」という概念そのものが、禁止されているのだ。
現代の「鬼」が執行する、合法的な掠奪の構造
この悪夢のような光景は、決して神話の話ではない。今の日本における「二重課税」と「相続税」という制度そのものの写し鏡である。
搾取の連鎖:稼ぐほどに遠のくゴール
私たちが手にする資産は、すでに幾重もの「検問」を通り抜けてきた残滓に過ぎない。給与から所得税・住民税が差し引かれ、社会保険料という名の事実上の税金が追い打ちをかける。法人が利益を出せば法人税が取られ、その残りを配当として受け取ればまた課税される。
「二重課税・相続税」というシステムは、このサイクルを無限に繰り返させるための装置だ。すでに所得税を支払った後の「手取り」から蓄えた資産に対し、死に際して再び最大55%もの税を課す。これは論理的に考えれば、同じ原資に対する見事なまでの「二重取り」であり、国家による暴力的な介入である。
三代で財産が消滅する「等しく貧しい」設計
日本の相続税制は、世界的に見ても極めて苛烈だ。この制度の背後にあるのは「富の再分配」という美名に隠れた、資産形成の徹底的な阻害である。親から子へ、子から孫へ。本来、資本主義とは資本を蓄積し、それを元手にさらなる価値を生むゲームのはずだ。しかし、この国は「三代続けば財産がなくなる」ように計算されている。
誰が得をしているのか。それは、この巨大な「再分配の装置」を維持することで飯を食う、官僚機構と政治家たちだ。彼らにとって、国民が自立した強固な私有財産を持つことは不都合である。なぜなら、国家に頼らずとも生きていける国民は、国家のコントロールに従わなくなるからだ。
彼らが求めているのは、強い国民ではない。常に国家の補助金や再分配を欲し、首輪を繋がれたまま「等しく貧しい」大衆である。
結論:平等の履き違えが、この国を殺す
私たちは今、大きな勘違いを正さなければならない。「格差はいけない」という言葉が免罪符のように使われ、誰かが築き上げた資産を奪い取ることが「正義」だと誤認させられている。
だが、本来の平等とは「機会の平等」であったはずだ。努力し、耐え、勝ち抜いた者がその成果を子孫に残せない社会に、一体誰が情熱を注ぐだろうか。資産を蓄積させない仕組みは、一見すると富裕層への攻撃に見えるが、その実、社会全体の成長エンジンを破壊している。誰もが「どうせ奪われるなら、今使ってしまえ」という刹那的な消費に走り、長期的な投資や文化の育成が蔑ろにされる。
「資産形成を阻害し、全員を等しく貧しくする。それは真の平等ではなく、ただの衰退の共有である」
私たちは、鬼に石を崩されることを当然だと思ってはならない。一生をかけて積んだ石を、愛する者のために遺す権利。それこそが、人間が尊厳を持って生きるための根源的な欲求であるはずだ。
国家が「平等の履き違え」を正さない限り、この国は永遠に賽の河原のままだろう。霧の中で石を積み続けるか、それとも鬼の棍棒を叩き折る議論を始めるか。その選択は、今を生きる私たちの手に委ねられている。
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