国家の果実は誰が喰らったか――「最大予算」という名の空虚な器と、中抜きという名の寄生虫

絶え間なき増税と、冷え切った食卓の違和感

日々の生活で、私たちは奇妙な感覚に襲われることはないだろうか。増え続ける社会保険料、物価高騰に追いつかない給与、そして「過去最大」を更新し続ける国家予算。数字の上では、この国は空前の豊かさを分配しているはずだ。しかし、私たちの手元に届く実感は、凍てつくように冷たい。

子育て支援、老後の安心、経済対策。掲げられる看板はどれも立派だが、実際に供される「行政サービス」という名の食事は、驚くほど貧相だ。窓口の対応は削られ、インフラは老朽化し、困窮者への手向けは雀の涙ほど。私たちは「これだけの公金が投じられているのだから、いつかは自分たちも救われるはずだ」と期待し、そのたびに裏切られ続けている。

なぜ、注ぎ込まれた巨額の税金は、私たちの生活を潤す前に消えてしまうのか。なぜ、私たちはこれほどまでに「報われない」のか。その答えは、この国が抱える構造的な「空洞化」にある。

艶やかな皮の下で蠢く、貪欲な捕食者たち

想像してみてほしい。あなたの目の前に、見事なまでに大きく、真っ赤に熟れたリンゴがある。それは「国家予算」という名の果実だ。あなたは空腹に耐えかね、その果実を一口齧ろうとする。しかし、指が触れた瞬間、その重さに違和感を覚える。見た目のボリュームに反して、手応えが異様に軽いのだ。

恐る恐るその皮を剥いてみると、そこにあるのは、言葉を失うような光景だ。

果実の内部は、網の目のように張り巡らされた複雑な空洞で満たされている。そしてその空洞の中には、無数の「虫」たちがひしめき合っている。彼らは果実の芯から甘い蜜を吸い取り、果肉を食い荒らし、ただ「皮」の形だけが崩れないように内側から支えている。

虫たちは互いに連絡を取り合い、ある者は「事務局」という名の節を作り、ある者は「再委託」という名の管を伸ばす。果実の頂点から注がれた養分は、この複雑怪奇な迷路を通り抜ける間に、大部分が彼らの胃袋へと消えていく。

あなたがようやく手にするのは、虫たちの食い残しである、パサパサに乾いた繊維質の欠片だけだ。彼らは冷淡にこう告げる。「これが、あなたに与えられた正当な対価だ」と。外側から見れば、果実は以前として立派な形を保っている。しかし、その中身はすでに死に絶え、捕食者の巣窟へと成り果てているのだ。

「虫食いだらけの果実」という現実の絶望

この不気味な比喩は、決してファンタジーではない。現代日本において常態化している「公金還流システム」の写し鏡である。

肥大化する事務局と、幾重にも重なる中抜き構造

私たちが「国家予算の無駄遣い」と呼ぶものの正体は、この中抜き構造に他ならない。例えば、災害対策や経済振興のために巨額の補正予算が組まれる。しかし、その予算が執行される際、まず巨大な広告代理店やコンサルティング会社が「事務局」として鎮座する。

そこから二次請け、三次請け、四次請けへと業務が流れるたびに、マージンという名のアリバイによって果肉は削ぎ落とされていく。末端で実際に市民にサービスを提供する現場にたどり着く頃には、元の予算の何割が残っているだろうか。国民が手にするサービスが薄っぺらなのは、あなたの努力不足ではなく、届く前に食いつぶされているからだ。

構造的に維持される「寄生のメカニズム」

なぜ、これほど効率の悪いシステムが改善されないのか。それは、この構造によって「得をする人々」が、ルールを作る側に深く食い込んでいるからだ。

予算規模(皮)が大きければ大きいほど、中抜きできる絶対量も増える。したがって、彼らにとっては「問題が根本的に解決されること」よりも、「対策という名目で多額の予算が付き続けること」の方が重要なのだ。社会問題は、もはや解決すべき対象ではなく、公金を民間へ移転させるための「蛇口」として利用されている。

政治家は「予算を確保した」という実績を誇り、企業は「事務手数料」で肥え太る。この共犯関係の中で、納税者はただ、中身のない果実のために肥やしを運ばされる奴隷に甘んじている。

私たちが取り戻すべきは「器」ではなく「中身」だ

私たちは長らく、皮の大きさ、つまり「予算の総額」ばかりを議論してきた。野党は足りないと言い、与党は十分だと言う。しかし、中身が虫食いだらけであれば、どれほど大きな果実を用意したところで、私たちの飢えが癒えることはない。

この「空洞化型」の搾取構造を打破するためには、単なるコストカットや節約では不十分だ。必要なのは、予算がどのように流れ、どこで消えたのかを白日の下に晒す徹底した「透明化」と、重層的な委託構造そのものを禁止する「直営への回帰」である。

税金は、特定の企業の利益を支えるための補助金ではない。それは本来、私たちが明日を生きるための共通の財産であるはずだ。

「皮」ばかりが立派な社会を、これ以上容認してはならない。私たちの手元に残った僅かな果肉を数えるのはもうやめよう。私たちが真に問うべきは、その豊かな蜜を途中で掠め取っている「無視できない虫たち」の正体だ。税金が社会に還元されず、特定のポケットに消える還流システムを破壊しない限り、この国の再生はあり得ない。

私たちが手に入れるべきは、誰にも食い荒らされていない、真に実りのある未来である。

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