終わらない夏休みの宿題という名の「国家破綻」:なぜ私たちは8月31日の絶望から逃れられないのか

「いつか、誰かが」という甘い毒に侵された日常

朝、目が覚めた瞬間に感じる、説明のつかない重苦しさの正体を考えたことはあるだろうか。満員電車に揺られ、削られるような労働に従事し、手元に残る給与明細の「社会保険料」という項目の肥大化に溜息をつく。私たちは、明らかに何かがおかしいと感じている。将来への不安は霧のように立ち込め、現役世代の肩には、目に見えない巨大な負債の山がのしかかっている。

「少子高齢化」という言葉は、もはや聞き飽きたBGMのようなものだ。テレビをつければ、全世代型社会保障改革という美名の下で、実態の伴わない議論が繰り返されている。私たちは薄々気づいているはずだ。この国は、とっくに破綻の淵に立たされているということに。しかし、その決定的な瞬間を直視することを、国全体が拒絶している。私たちは今、終わりなき「前送りの構造」の中に生きているのだ。

出口のない8月31日:日記すら白紙の部屋で

想像してみてほしい。外では蝉の声がわんわんと響き、陽炎がアスファルトを揺らしている、あの夏の終わりを。

時刻は午後8時。部屋の中には、手付かずの宿題の山が積み上がっている。ドリル、自由研究、そして一行も埋まっていない絵日記。明日になれば学校が始まり、逃げ場のない審判の日がやってくる。冷や汗が背中を伝い、心臓の鼓動が耳元でうるさく響く。

しかし、この部屋の様子は、私たちが知る「子供の焦り」とは少し異なっている。

部屋の隅では、本来なら叱るべき「親」が、優しく微笑みながらお茶を飲んでいる。「大丈夫よ、まだ時間はあるから。お父さんが後でなんとかしてあげるわ」と、根拠のない慰めを口にする。さらに、本来なら指導すべき「先生」は、窓の外を眺めて鼻歌を歌っている。「宿題? ああ、あれは君が大人になってからやればいいことだよ」と、無責任な言葉を投げ捨てる。

子供であるあなたは、その言葉に一瞬の安堵を覚える。しかし、現実は残酷だ。どれだけ周囲の大人が現実を隠蔽しようとも、宿題の山が消えることはない。それどころか、宿題は一分一秒ごとに増殖し、部屋の天井を突き破らんばかりに膨れ上がっている。

あなたは泣きながら、白紙の日記帳にペンを走らせようとする。しかし、何を書けばいいのか分からない。昨日何をしたのか、今日何をすべきなのか、誰も教えてくれないからだ。外は暗くなり、刻一刻と時計の針は進む。親も先生も、最後には「自分の責任ではない」と言い残して部屋を出ていくだろう。後に残されるのは、膨大な未処理の課題と、それによって人生を奪われた「あなた」だけである。

構造的な「見て見ぬふり」が日本を解体する

8月31日の絶望と、機能不全の社会保障

この悪夢のような情景こそが、現在の日本の縮図である。設定された「8月31日」とは、まさに社会保障制度の破綻寸前の現状だ。

「少子高齢化」という課題が指摘されてから、すでに数十年が経過した。しかし、政治という名の「先生」たちは、票田となる高齢者への顔色を伺い、抜本的なメスを入れることを拒んできた。そして、官僚という名の「親」たちは、複雑な制度の迷宮を作り上げることで、問題の本質を煙に巻いてきた。

結果として、現役世代という「子供」だけが、増え続ける社会保険料という名の宿題を、たった一人で背負わされている。彼らが流す涙は、もはや統計データという乾いた記号に変換され、永田町の議論の遡上に載ることすらない。

なぜこの不条理なルールは維持されるのか

誰がこの構造から利益を得ているのか。答えは明白だ。それは「今、この瞬間の維持」を至上命題とする者たちである。

政治家にとって、20年後の国家の安泰よりも、数ヶ月後の選挙での一票が重要だ。官僚にとって、制度の抜本的な破壊よりも、自分の任期中に破綻の爆弾が爆発しないことの方が重要だ。彼らにとって、国民は「守るべき対象」ではなく、「責任を押し付けるためのバッファ」に過ぎない。

この国では、議論をすること自体が目的化している。全世代型社会保障改革という言葉が踊るたびに、増税や負担増の議論は「慎重に検討する」という魔法の言葉で先送りされる。これこそが、日記を一行も書かないまま、夜更かしを続けている状況の正体である。

誰も助けに来ない「宿題」の核心

私たちは今、大きな分岐点に立っている。これまでの日本を支えてきたのは、「いつか誰かが、この問題を解決してくれるだろう」という根拠のない集団幻想だった。高度経済成長の残り香が、私たちから危機感を奪い、甘えた依存心を植え付けた。

しかし、断言しよう。親も、先生も、そして奇跡的な救世主も、あなたの元へはやってこない。彼らはあなたと一緒に夜を明かしてくれる仲間ではなく、夜が明ける前に逃げ出す準備を整えている側だからだ。

「いつか誰かがやってくれる」という幻想。これこそが、この国を蝕む最大の病根であり、国を滅ぼす真犯人である。

私たちがすべきことは、白紙の日記帳を前にして泣き続けることではない。親や先生の甘言に耳を貸すのをやめ、積まれた宿題という名の「不条理な構造」を、自分たちの手で解体し始めることだ。社会保障の痛みを全世代で分かち合う覚悟を持ち、シルバー民主主義という歪んだ支配構造にNOを突きつける。それは、あまりにも苦しく、痛みを伴う作業だろう。

だが、それを拒否し続ければ、待っているのは「明日」のない永遠の8月31日だ。幻想を捨て、現実に着地せよ。自分の未来を、他人の先送りに委ねてはならない。私たちがこの不条理な宿題を終わらせないと決別したその瞬間にのみ、本当の意味での新しい「9月1日」が始まるのである。

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