霜の降りた部屋で、それでも「頑張りが足りない」と囁かれる不条理
朝、凍りつくような冷気に目を覚まし、吐き出す息の白さに絶望する。そんな光景が、現代の日本を生きる多くの人々の日常を象徴している。私たちは、真面目に働けば報われると信じてきた。しかし、現実はどうだ。非正規雇用の拡大、実質賃金の停滞、そして止まらない物価高。どれだけ効率化を突き詰め、削れるものを削っても、生活の底打ち感は一向に見えてこない。
「自己責任」という言葉が、鋭いナイフのように人々の胸を刺す。格差を個人の努力不足にすり替え、構造的な欠陥から目を逸らさせるこの言葉こそ、現代社会が発明した最も残酷な麻酔だ。私たちは冷え切った部屋の中で、わずかな温もりを求めて震えている。なぜ、この国はこれほどまでに寒くなってしまったのか。その原因は、私たちが必死に火を焚いて暖を取っている、その「燃料」の正体に隠されている。
凍てつく海の上、氷の土台を削って燃やす住人たちの物語
想像してみてほしい。あなたは、果てしなく広がる極寒の海に浮かぶ、巨大な氷山の上に建てられた「家」に住んでいる。外は猛吹雪だ。暖炉に火を焚かなければ、凍え死んでしまう。
しかし、この家には「薪」がない。本来、外から運び込まれるはずの燃料は、家の管理者たちがどこかへ持ち去ってしまった。途方に暮れるあなたに、管理者は冷徹な笑みを浮かべて告げる。「足元にある氷を削って、それを燃やせばいい。それは特別な技術で、一瞬だけ熱を放つように加工されているのだから」と。
あなたは生き延びるために、自らが立っている足元の氷山をピッケルで削り始める。それを暖炉に投げ込むと、確かに青白い炎が上がり、一時の温もりが部屋を満たす。あなたは安堵し、管理者に感謝するかもしれない。
だが、ふと足元を見て気づく。火を焚けば焚くほど、家の土台である氷山は薄くなり、亀裂が走っていく。氷が溶ければ、家全体の浮力は失われる。そして何より恐ろしいのは、削った氷は二度と元には戻らないということだ。少しずつ、しかし確実に、あなたの家は海面へと近づいていく。ある日、家は轟音とともに海に飲み込まれるだろう。その時、暖炉にはまだ暖かい火が灯っているかもしれないが、それがあなたを救うことはない。
これが、「改革」という名のコストカットに酔いしれた社会の、寓話的な真実である。
構造改革という名の「土台の切り崩し」
中間層という氷山が溶けて消える日
この比喩における「氷山」とは、日本社会を支えてきた強固な中間層そのものである。かつての日本には、長期的な雇用と教育訓練によって守られた、分厚い知的・経済的基盤があった。しかし、バブル崩壊後の「失われた三十年」で行われたのは、この氷山を削って「当座の利益」という暖を取る行為だった。
非正規雇用の拡大は、企業の目先の利益を最大化させた。それは経営者や株主にとっての「暖」となったが、その代償として、若者の育成機会、技術の伝承、そして家庭を持つという人生の選択肢が削り取られた。氷山を削り、将来の再投資を放棄した企業は、一時的なコスト削減に成功したが、その足元(国内市場と労働力)を自ら溶かしてしまったのだ。
利権構造が招く、沈没へのカウントダウン
なぜ、このような愚かな行為が続けられるのか。それは、氷山を削ることで「得をする層」が確実に存在するからだ。人件費を削れば、企業の財務諸表は見栄えが良くなり、株価は維持される。政治家は「構造改革」という進歩的な響きの言葉で、抜本的な少子化対策や産業育成から逃げ続けることができる。
彼らにとって、家が数十年後に沈没するかどうかは二の次である。重要なのは、自分が管理責任を負っている「今」、暖炉に火が灯っていること。そのために、次世代の可能性や労働者の生存基盤を燃料として差し出すことに、何の躊躇もない。彼らは沈没の直前に、自分たちだけはヘリコプターで脱出できると信じているのだ。
自殺行為としての自己責任論、その果てにある景色
「自己責任論」でコストを削り、弱者を切り捨てるのは、合理的な経営判断ではない。それは国家の、そして社会の「自殺行為」である。
氷山が溶けて沈む現象は、現実には「少子化」と「技術断絶」という形で現れている。足場がなければ、新しい命を育むことはできない。燃料として燃やされてしまった若者たちに、未来を切り拓く余力など残されているはずがない。私たちが心地よい温もり(=安価なサービス、目先の効率)を享受している裏で、この国の持続可能性という土台は完全に失われつつある。
私たちは今、声を大にして拒絶しなければならない。足元の氷を削って暖を取るという死へのダンスを。「薪」は、氷山を削って作るものではない。外部から富を取り込み、内部で循環させ、氷山をより大きく、より強固にするための「投資」こそが必要なのだ。
社会構造を冷静に分析すれば、私たちが向かっている先は明白だ。このままでは、最後に残るのは溶け落ちた氷山の破片と、冷たい海原だけである。冷笑的な自己責任論に別れを告げ、私たちが共に立っているこの「土台」を守ることに、今すぐ全ての資源を投入すべきだ。それが、この凍てつく部屋から脱出するための、唯一の、そして最後の処方箋である。
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