努力が報われない時代の正体
朝、目が覚めた瞬間に感じる重苦しい疲労感。満員電車で揺られながら、ふと「これほどまでに働いているのに、なぜ生活は一向に楽にならないのか」と自問したことはないだろうか。増え続ける社会保険料、実質賃金の低下、そして将来への漠然とした不安。私たちは、終わりのない坂道を全力で駆け上がっているような感覚の中にいる。
かつてこの国には、明日は今日よりも良くなるという確信があった。しかし今、私たちの目の前に広がっているのは、どれだけ汗を流してもゴールが遠のいていくという奇妙な景色だ。私たちは怠惰なのだろうか。それとも、努力の方向を間違えているのだろうか。
「国には借金があるから、もっと切り詰めなければならない」「無駄を省き、スリムにならなければ国際競争には勝てない」
耳に馴染んだこれらのフレーズは、一見するともっともらしい正論に聞こえる。しかし、この「正論」こそが、私たちを窒息させている正体なのだとしたらどうだろう。私たちは今、国家という規模で、極めて異常な「集団的飢餓」の状態に置かれている。
出口のないスタジアム:走るほどに痩せ細るランナーの悲劇
想像してみてほしい。あなたは一人のマラソンランナーだ。舞台は、照りつける太陽の下、延々と続くスタジアムのトラック。あなたの目標は、これまでの自己ベストを更新すること、つまり「成長」することにある。
しかし、あなたのコーチは奇妙なことを命じる。「タイムを縮めたければ、食事を抜くんだ。贅肉を削ぎ落とし、身体を軽くしろ。空腹こそが走るエネルギーになる」
あなたはコーチの言葉を信じ、食事を制限し始める。最初は確かに体が軽くなった。しかし、数日が過ぎ、数週間が経つころ、異変が起きる。足が重い。意識が朦朧とする。かつて軽々と越えたハードルが、そびえ立つ壁のように見える。
あなたはコーチに訴える。「もう力が出ません、少しでも栄養をください」と。だが、コーチは冷酷に言い放つ。「まだ贅肉があるじゃないか。ほら、その脚の筋肉だ。それは走る邪魔になる無駄な重りだ。それも削ぎ落とせ。それが終わるまで、次の食事は与えない」
これが、あなたの置かれている状況だ。空腹で震える手足を引きずりながら、あなたはさらに自分の筋肉を削り、エネルギーに変えていく。走るための筋肉を燃やして、走るためのエネルギーを捻出するという狂気。呼吸は浅くなり、視界は狭まる。周囲を走る他国のランナーたちは、適切な食事を摂り、見る見るうちに加速していく。それを見ながら、あなたは「自分はまだ努力が足りない、もっと飢えなければならない」と自分を責め続ける。
このスタジアムには、歓声はない。ただ、ランナーが自らの肉を削ぎ落とすナイフの音と、荒い吐息だけが響いている。
「PB黒字化」という名の絶食療法
この不気味な寓話は、決して空想の産物ではない。現代日本が掲げる「PB(プライマリーバランス)黒字化目標」という名の財政政策、そのものだ。
筋肉を削ぎ落とす構造的欠陥
私たちが「無駄」として切り捨ててきたものは、果たして本当にただの贅肉だったのだろうか。比喩における「筋肉」とは、現実社会における教育、科学技術投資、インフラ整備、そして何より国民の生活の余裕そのものである。
政府が支出を絞り、カネを出さないということは、社会の血液である通貨の供給を止めることを意味する。研究機関は予算を削られ、若手研究者は非正規雇用に追いやられ、日本の技術力は文字通り「痩せ細って」いった。道路や橋は老朽化し、地方は静かに朽ちていく。これらはランナーにとっての筋肉であり、肺活量であるはずだった。しかし、私たちは「財政健全化」という神聖な目的のために、これらを「贅肉」と呼び変え、切り捨ててきたのだ。
誰がこの「飢死」を望んでいるのか
なぜ、これほどまでに明白な不合理が維持されるのか。そこには、この構造によって得をする勢力が存在するからだ。
一つは、緊縮財政を「家計のやりくり」という矮小化されたロジックで国民に信じ込ませることで、自らの権力を誇示する財務当局。もう一つは、公共サービスが削られることで生まれる市場をビジネスチャンスと捉える一部の資本家たちだ。
彼らにとって、国民が飢え、公的なセーフティネットが崩壊することは、民営化という名のアウトソーシング(中抜き)を拡大する好機に他ならない。ランナーが倒れそうになればなるほど、彼らは「民間活力を注入する」という名目で、高価なサプリメント(有料サービス)を売りつけることができる。国民の困窮は、特定の立場の人々にとっては利益の源泉なのだ。
経済成長なしの財政再建は、死に至るダイエットである
私たちは、根本的な勘違いを正さなければならない。財政が苦しいからカネを使わないのではない。カネを使わないから、経済が成長せず、結果として財政も苦しいままなのだ。
重度の栄養失調に陥ったランナーに、さらなる断食を強いる医者がいたら、それは治療ではなく「虐殺」と呼ぶべきだろう。今の日本に必要なのは、ベルトを締め上げることではなく、適切な栄養を摂取し、再び走れるだけの筋肉を取り戻すことだ。すなわち、需要を創出し、国民の手に届く形で財政を出動させることである。
「借金を次世代に残すな」という言葉は、一見すると未来への思いやりに満ちている。しかし、その実態は、次世代に「筋肉の削げ落ちた、動かないボロボロの身体」を押し付けているに過ぎない。教育を受けられず、技術も継承されず、インフラも崩壊した国を渡されて、次世代はどうやって生きていけというのか。
今、私たちが直面しているのは、単なる数字上の議論ではない。それは、私たちの生命維持装置を自ら破壊するか否かの選択である。
結論は明白だ。経済成長を置き去りにした財政再建は、健全化でも何でもない。それは「死に至るダイエット」だ。私たちは、自らを飢えさせるコーチの呪縛を振り払い、再び「食べる(投資する)」勇気を持たなければならない。筋肉を再生させ、心拍数を上げ、再びこの足で力強く大地を蹴り上げること。それだけが、この終わりのないスタジアムから脱出する唯一の道なのである。
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