懸命に走るほど遠のくゴール:私たちの努力を吸い取る「不可視の影」
満員電車に揺られ、削られるような思いで働き、納税の義務を果たす。私たちが日々の生活で感じるのは、改善されることのない閉塞感と、底の抜けた器に水を注ぎ続けるような徒労感ではないだろうか。物価は上がり、実質賃金は停滞し、未来への投資であるはずの子育て支援や社会保障は、常に「財源不足」という壁に突き当たる。
だが、奇妙ではないか。これほどまでに技術が発展し、情報の透明性が叫ばれる現代において、なぜ私たちは一向に豊かさを実感できないのか。なぜ私たちの「切実な声」は、政治という巨大な議決システムを通過した途端、全く別の色に染まって出力されるのか。
私たちが直面しているのは、単なる失政や経済の不調ではない。この国家というシステムそのものが、何者かによって根底から書き換えられている——その疑念は、もはや妄想ではなく、肌で感じるリアルな恐怖へと変わりつつある。私たちは、私たちが信じている「民主主義」というルールの中で、誰一人望んでいない方向へ、強制的に歩まされているのだ。
宿主の脳を操る狡猾なる介入者:意志を奪われた生命の悲劇
想像してみてほしい。ある静かな森の中で、一匹の蟻が葉の先端へと登っていく。そこは天敵に見つかりやすく、蟻にとっては何のメリットもない、死へ直結する場所だ。しかし、蟻は自分の意志でそこへ向かっていると信じ込んでいる。
実は、この蟻の脳内には「タイノサウルス」という寄生虫が潜り込んでいる。寄生虫は蟻の神経系をジャックし、特定の化学物質を分泌することで、蟻の「生存本能」を書き換えてしまったのだ。蟻は、自分の筋繊維が動く感覚を自分の意志だと思い込みながら、実際には寄生虫が鳥に食べられ、次の宿主へ移るための「乗り物」として奉仕させられている。
その光景は、あまりにも不条理で残酷だ。蟻が必死に動かしている脚、周囲を警戒する触覚、その全てが、蟻自身の繁栄のためではなく、自分を食い荒らす異物のために機能している。蟻の視界には、自分が愛した巣や仲間ではなく、ただ寄生虫が望む「高い場所」だけが映し出されている。
蟻は死の間際まで気づかない。自分が死ぬまで働かされている理由が、自分の脳を苗床にしている「招かれざる客」の生存戦略であるということに。この森では、生命の基本原理であるはずの「自己保存」すらも、寄生というハッキングの前には無力化されてしまう。
「国民のため」という言葉に隠されたコードの改ざん
このグロテスクな自然界の営みは、現在の日本社会、とりわけ政治と利権団体の関係性と驚くほど一致する。
善意の皮を被った利益誘導:特定団体による国家のハッキング
私たちがニュースで目にする「〇〇業界への補助金」や「特定の産業を保護する規制緩和」といった政策。これらは往々にして「国民の利便性のため」「産業の発展のため」という美しいパッケージで語られる。しかし、その中身を分解してみれば、実態は特定の利権団体やロビイストによる、国家予算という「宿主の栄養」の強奪である場合が少なくない。
農政、建設、医療、IT——あらゆる分野において、ロビイングという名の寄生虫は官僚や政治家の脳内に侵入する。彼らは献金、パーティー券の購入、あるいは天下り先の提供という「甘い報酬」と引き換えに、政策という名の神経伝達物質を操作する。結果として、国民が「自分の生活が良くなるはずだ」と期待して投じた一票は、システムを通過する過程でバグを引き起こし、一部の既得権益を肥え太らせるための方策へと変換される。
構造的な病巣:なぜシステムは自己浄化できないのか
この構造が最悪なのは、寄生虫(利権団体)が宿主(国家)を殺し切ることはせず、ギリギリの生存状態を保ちながら吸い尽くす点にある。宿主が完全に崩壊してしまえば、自分たちの食い扶持もなくなるからだ。
そのため、彼らは「改革」のポーズを崩さない。DX化、規制改革、持続可能性。耳当たりの良い言葉を並べ立て、システムの表層だけをいじり回す。しかし、その「改革」のために投じられる多額の税金は、結局のところ、寄生虫たちが指定したコンサルティング会社や、関係の深い企業へと還流していく。
国民がいくら「苦しい」と声を上げても、システムのOSは既に書き換えられている。私たちが動かしていると思っている「政治」という手足は、既に私たちの脳(公の意志)の制御下にはないのだ。
民主主義というOSの上で動く、利権というマルウェア
私たちは認めなければならない。現代の民主主義は、もはや健全に機能するソフトウェアではない。その基盤となるOS(制度)の上に、利権という名の強力なマルウェアが常駐し、バックグラウンドでのメモリを占有し、私たちのリソースを外部へと送信し続けているのだ。
このマルウェアの巧妙な点は、それが「民主的な手続き」という正規のルートを通じてインストールされていることにある。選挙、審議会、閣議決定。一見すると適正なプロセスを経て決定されたかのように見える全ての事象が、実は寄生虫の意志によって高度にプログラムされている。
これを打破するために必要なのは、システムのマイナーアップデートではない。ましてや、寄生虫に操られたリーダーを交代させることでもない。必要なのは、システムの「クリーンインストール」に等しい視点の転換だ。
私たちは、提示される「〇〇のため」という大義名分を、一度全て疑わなければならない。その政策で本当にお金が動くのはどこか。その規制で守られるのは誰の椅子か。私たちが動かされている感覚、その違和感の正体を突き止め、神経系に食い込んだ寄生虫を摘出すること。
「民主主義というOSの上で動く、利権というマルウェア」をアンインストールしない限り、私たちがどれほど懸命に働いても、その果実は私たちの口には入らない。宿主として、自らの脳と身体を取り戻す戦いは、今この瞬間の「違和感」を確信に変えることから始まるのだ。
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