国家という名の「終わらない課金ゲーム」:私たちはなぜ、望まない追加課金に応じ続けるのか

働いても働いても「手取り」が増えない絶望の正体

朝、目が覚めると同時にスマートフォンを手に取り、無意識にニュースをチェックする。目に飛び込んでくるのは「社会保険料の引き上げ」「防衛増税」「物価高騰」といった、私たちの財布をじわじわと侵食する言葉の群れだ。

真面目に働き、満員電車に揺られ、理不尽な上司や顧客に頭を下げて手にした給与明細。そこに刻まれているのは、額面と手取りの間に横たわる、決して埋まることのない巨大な「溝」である。私たちは日々、何かに削られ、奪われている感覚を抱えながら生きている。

「なぜ、これほどまでに報われないのか?」

この問いに対し、多くの人は「景気が悪いから」「政治家が無能だから」と溜息をつく。しかし、問題の本質はもっと残酷な場所にある。私たちが生きるこの社会は、一度足を踏み入れたら最後、死ぬまで「課金」を要求され続ける高度に構築されたゲームシステムそのものなのだ。

「基本プレイ無料」の甘い罠とレベルアップの代償

想像してみてほしい。あなたはある日、世界中で大流行している魅力的なスマートフォン向けゲームをインストールした。

そのゲームの謳い文句は「基本プレイ無料」。最初は誰もが平等の条件でスタートし、豊かな可能性が約束されている。チュートリアルは親切で、広大なフィールドを駆け回り、仲間と出会い、自分の人生というキャラクターを育成していく楽しみに溢れている。最初のうちは、課金などしなくても十分に楽しめた。「なんて素晴らしいシステムなんだ」と、あなたは自身の選択に満足したはずだ。

しかし、レベルが上がるにつれて、ゲームの様相は一変する。

敵は急激に強くなり、昨日まで通用していた装備(スキルや体力)では、次のステージ(結婚、出産、住宅購入)に進むことができなくなる。ゲームバランスは巧妙に調整されており、運営側は平然とこう告げる。

「ここから先を快適にプレイしたいなら、あるいは今のステータスを維持したいなら、特別なアイテムが必要です。さあ、課金してください」

あなたは戸惑いながらも、それまで費やした膨大な「時間」と「努力」を無駄にしたくない一心で、数百円、数千円と課金を始める。最初は小さな負担だったはずが、いつの間にか、倒すべき敵を倒すためではなく、「ただゲームを継続するためだけ」に課金を繰り返すようになる。

やがて、画面の隅に表示されるあなたの資産は、運営が一方的に決めた「ルール変更」によってその価値を毀損されていく。運営は「サーバー維持費がかかるから」「新規プレイヤー(次世代)のためだから」と、もっともらしい理由を並べては、あなたのガチャ(公共サービス)の当選確率を下げ、課金額だけを釣り上げていくのだ。

生活基盤という名の「セーブデータ」を人質に取られた構造

このシニカルな比喩は、残念ながら現代日本のメタファーとしてあまりに正確に機能している。

「基本プレイ無料」という高度な幻想

かつての日本社会における「低負担」は、初期の基本プレイ無料期間に過ぎなかった。経済成長という「ボーナスステージ」の間、私たちは将来の課金リスクに気づかぬまま、このシステムに魂を売り渡してきた。

今の現役世代が直面しているのは、生活基盤そのものが「セーブデータ」として人質に取られているという事実だ。国民年金、健康保険、そしてあらゆるインフラ。これらはすべて、ある特定のプラットフォーム上に構築された依存関係である。もし課金(増税・社会保険料の支払い)を拒否すれば、これまで積み上げてきたすべての権利や将来の保証という名の「データ」が消去される。辞めようにも辞められない、逃げようにも逃げ場がないという閉塞感の正体は、この「サンクコスト(埋没費用)」にある。

誰がこのバグだらけのゲームで得をしているのか

なぜ、これほどまでにユーザー(国民)の不満が溜まっているにもかかわらず、運営(政府・官僚)はシステムを改修しないのか。答えはシンプルだ。この「搾取型課金モデル」こそが、運営にとって最も効率的な集金システムだからである。

運営は、新規の画期的なコンテンツ(成長戦略)を開発するリスクを負うよりも、既存のプレイヤーから定額で、かつ強制的に課金させる方がはるかに低リスクで肥え太ることができる。彼らにとって重要なのは、プレイヤーの満足度ではなく、システムを稼働させ続けるための「最小限の餌」と、逃げ出させないための「サンクコストの増大」なのだ。

私たちは「受益と負担」のバランスが完全に崩壊したゲーム機の前で、ひたすら課金ボタンを押させられている。当たりの入っていないガチャに、明日の食費を投じているようなものである。

「受益と負担」というプロパガンダを疑え

私たちは、この不条理なゲームに対して、いい加減に怒りの声を上げるべきだ。

「受益と負担の適正化」という言葉は、運営が課金金額を正当化するために使う精緻なプロパガンダに過ぎない。現実には、私たちが支払う「負担」は天井知らずに跳ね上がり、受け取る「受益」はサーバーの不具合のように縮小・劣化し続けている。

この構造的な病巣を打破するためには、まず私たちが「自分たちは顧客ではなく、ただの資源(リソース)として扱われている」という現実を直視する必要がある。運営は私たちの幸福を願っているのではない。ただ、システムを延命させるための「バッテリー」として私たちを利用しているのだ。

目を覚ますのだ。国家というプラットフォーム上で「課金効率」ばかりを考えさせられる生き方に、一体何の価値があるというのか。

もしゲーム(社会)のルールが、プレイヤーの生活を破壊するほどに歪んでいるのであれば、私たちはもはや、従順に課金に応じ続けるべきではない。運営に「NO」を突きつけるか、あるいはシステムの外部へ活路を見出す思考の転換が必要だ。

「受益と負担」のバランスが崩壊したこの搾取システムにおいて、最大の攻略法は、運営の提示する「正解」を疑うことから始まる。私たちは、自分の人生という唯一無二の物語を、単なる「課金装置」に成り下げてはならないのである。

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