平穏な暮らしを蝕む、名もなき空虚感の正体
私たちは日々、真面目に働いている。税を納め、社会のルールを守り、明日は今日よりも少しだけ良くなるはずだと信じて。しかし、ふとした瞬間に足元を見て愕然とする。懸命に歩いているはずなのに、地盤は脆く、将来への希望は砂のように指の間からこぼれ落ちていく。
給与は上がらず、社会保障費は膨らみ、手元に残る可分所得は削られ続ける。窓口の役人は「制度ですから」と冷徹に告げ、テレビの向こうの有識者は「少子高齢化の荒波を乗り越えるために痛みは不可欠だ」と説く。だが、私たちが耐えてきた「痛み」の結果、何が改善されただろうか。
この国を覆っているのは、単なる不況ではない。何かが私たちの根幹を、内側から確実に食い荒らしている。それも、「専門家」や「守護者」という頼もしい仮面を被った者たちの手によって。
出口のない「点検」が繰り返される家
想像してみてほしい。あなたは先祖代々受け継いできた、古くも立派な木造住宅に住んでいる。ある日、チャイムが鳴った。「住宅保全支援機構」と書かれた清潔な制服を着た男たちが立っている。「失礼します。最近この地域で白アリの被害が相次いでおりまして。無料点検に伺いました」
あなたは安心する。大切な我が家を長く保ちたい。彼らに調査を依頼すると、男たちは床下に潜り、深刻な顔で戻ってくる。「これは大変です。土台の一部がスカスカだ。今すぐ対策を打たなければ、次の地震でこの家は倒壊しますよ」
あなたは恐怖し、彼らが提示する高額な「修繕費」と「定期点検契約」に判を押す。それ以降、男たちは毎月のようにやってくる。時には「薬剤の強化が必要だ」と言い、時には「床下の湿度を下げるための特殊なファンを設置すべきだ」と提案される。そのたびに多額の手数料があなたの家計から消えていく。
しかし、奇妙なことが起こる。彼らが通い詰めれば詰めるほど、柱を叩いた時の音は鈍くなり、床の軋みはひどくなっていくのだ。ある夜、あなたはふと、深夜の床下に物音を聞く。懐中電灯を手に、こっそりと潜り込んでみた。
そこで目にしたのは。「清掃」をしているはずの男たちが、自ら持ち込んだ白アリの入った袋を柱の根元に撒き、鋭いノミで梁を少しずつ削り取っている姿だった。彼らは白アリを駆除するために来ているのではない。点検という名目で入り込み、適度に被害を維持し、拡大させることで、永続的に「対策費」という名の利益を得るために居座っているのだ。
彼らにとって、家が完全に修繕されてしまっては困る。それでは仕事がなくなるからだ。一方で、家が急激に崩壊してしまっても困る。それでは金を吸い取るべきホストがいなくなるからだ。彼らにとっての最適解は、「今にも壊れそうな不安を煽りながら、ギリギリの寿命を引き延ばし、永続的に寄生し続けること」なのである。
社会の隙間に巣食う「偽装型」の統治構造
この不気味な比喩は、決して空想の物語ではない。私たちの社会に張り巡らされた「天下り法人」や、何層にも重なる「中間搾取」の構造そのものである。
解決を拒む「問題解決組織」というパラドックス
本来、組織というものは目的を達成するために存在する。しかし、ある種の官僚化が進んだ組織や、公金の注入を受ける天下り法人は、ある時点で生存本能が「目的」を上書きしてしまう。
例えば、待機児童問題や引きこもり対策、あるいはデジタル化の推進。それらを解決するために巨額の予算が組まれ、関連する社団法人や独立行政法人が次々と設立される。しかし、ここで冷酷な力学が働く。もし、それらの問題が完全に解決されてしまったら、その組織に籍を置く人々の椅子はどうなるだろうか。数千億円の予算は、翌年には消えてなくなるのだ。
その結果、彼らは「白アリ駆除業者を装う白アリ」へと変貌する。問題を完全に根絶するのではなく、常に新たな「懸念」を掘り起こし、対策の複雑化という名の「事務手数料」を上乗せし、本質的な改善を先送りにする。問題が存続することこそが、彼らの飯の種なのである。
構造的な病巣:誰がこのシステムを維持しているのか
なぜ、このような歪な構造が放置され、むしろ拡大しているのか。それは、このシステムから甘い汁を吸うステークホルダーが、あまりにも巧妙に既存の権力構造と癒着しているからだ。
- 責任の分散という免罪符: 複雑な委託・再委託の構造を作ることで、どこで中抜きが行われ、どこに責任があるのかを不透明にする。
- 不安の再生産: メディアや有識者を通じて「このままでは危険だ」という言説を流布し、国民に新たなコストの支払いを納得させる。
- 既得権益の循環: 現役官僚は天下り先のポストを確保するために、その組織に有利な規制や予算を配分する。
彼らにとって、税金は「国民の生活を豊かにするための原資」ではなく、自分たちのエコロジーシステムを維持するための「餌」に過ぎない。
結論:問題の維持を断ち切るために
私たちは今、パラダイムシフトを迫られている。「問題に対して対策費を投じる」ことが、必ずしも「問題の解決」に直結しないという残酷な事実を直視しなければならない。むしろ、対策を講じれば講じるほど、その分野の非効率性が強化され、生活の土台である「柱」が細くなっていくのだ。
「問題解決のために作られた組織が、問題を維持することで生き延びる」
この悪魔的な循環を断ち切るには、単なる予算削減や制度見直しでは不十分だ。まずは、私たちが床下を覗き見る勇気を持つことだ。自分たちの生活から吸い上げられた資源が、どこで、誰によって、何のために消費されているのかを徹底的に監視すること。そして、「救済」という甘美な言葉の裏にある、鋭い下顎の音を聞き逃さないことだ。
白アリを駆除する唯一の方法は、彼らに偽装の余地を与えない透明性と、彼らの「食い扶持」である未解決の状態を評価しない評価システムへの転換である。家が崩れ落ちる前に、私たちはその手を止めさせなければならない。自分たちの居場所を、自分たちの手に取り戻すために。
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