黄金の果実を捨てて「泥」を売る民――なぜ日本企業は自らの延命のために未来を切り売りするのか

報われない努力と、静かに浸食される日常

朝、満員電車に揺られながらスマートフォンの画面を眺める。そこには、かつて日本が誇った名門企業の名前が、海外資本に買収されたという淡々としたニュースが流れている。あるいは、かつて世界を席巻した技術が、今や新興国のメーカーに完全に追い抜かれたという事実が。

私たちは、真面目に働いてきたはずだ。現場の知恵を絞り、品質を磨き、日々を積み重ねてきた。しかし、ふと周囲を見渡せば、私たちの手元に残っているのは、削り取られた給与と、将来への底知れぬ不安だけである。なぜ、これほどまでに懸命に走っているのに、目的地は遠ざかるばかりなのか。

その答えは、私たちが信じて疑わなかった「この国の経営」という名の構造そのものにある。私たちは今、自らの首を絞めるだけの「禁じ手」を、延命策という美名のもとに受け入れてしまっているのだ。

出口のない迷宮としての「土を売る村」

想像してみてほしい。ある豊かな村の物語を。

その村は、古くから肥沃な大地に恵まれ、そこから収穫される作物は世界中で「最高級品」として珍重されていた。村人たちは代々、土を耕し、堆肥を入れ、数十年、数百年の歳月をかけて、世界に二つとない「黄金の土」を作り上げてきた。それが彼らの誇りであり、生存の基盤だった。

しかし、ある年から作物の売れ行きが鈍り始める。近隣の村が、安価でそれなりの味のする作物を大量生産し始めたからだ。村の長老たちは焦った。本来であれば、さらに付加価値の高い新しい種を開発するか、販路を広げるべきだった。しかし、彼らが選んだ道は、あまりにも安易なものだった。

「作物が売れないのなら、この肥沃な土そのものを売ればいいじゃないか」

村の外からやってきた商人たちは、目を輝かせてその提案に乗った。トラックが何台も村に入り、スコップで丁寧に、かつ無慈悲に、代々受け継いできた黒々とした土を削り取っていく。村の金庫には、一時的に莫大なキャッシュが舞い込んだ。長老たちは胸を張り、村人たちに配当を出し、「これで我が村は安泰だ」と宣言した。

だが、その翌年、何が起きたか。

村に残されたのは、栄養分を根こそぎ奪われ、岩盤が露出した痩せこけた大地だった。種をまいても芽は出ず、風が吹けば砂埃が舞う。一方で、土を買った商人の村では、かつての村と同じ、あるいはそれ以上の見事な作物が実っていた。

飢えに苦しむ村人たちが生きるために選べる選択肢は、もう一つしかなかった。商人の村へ行き、自分たちが売った土の上で、時給数百円の「小作人」として雇われることだ。かつての主(あるじ)は、今や自らの財産を管理する他人のために、泥にまみれて働く隷属者へと成り下がったのである。

技術流出という名の「マシンの切り売り」が生む悲劇

資産と収益を履き違えた構造的欠陥

この寓話は、現代日本で起きている「技術流出」と「企業買収」の残酷なパロディに他ならない。

私たちが「土」と呼んだもの。それは現実社会においては、長年の研究開発で積み上げられた「基盤技術(IP)」であり、熟練した技術者の「暗黙知」である。そして「作物」とは、そこから生み出される製品やサービスだ。

近年の日本企業における経営判断は、まさに「作物が売れないから土を売る」という短絡的なサイクルに陥っている。リストラによって技術者を放出し、不採算部門と称して主要な事業部を分社化・売却する。帳簿上は一時的に数字が改善し、株主への還元も行えるだろう。しかし、その行為の本質は「資本の再生産能力」の破棄である。

構造的な病巣:誰がこの切売りを望んでいるのか

なぜ、このような愚行が繰り返されるのか。そこには、現在の資本主義システムが抱える歪んだインセンティブが存在する。

第一に、経営者の「任期」の問題だ。数年で交代する経営者にとって、10年後の企業の繁栄よりも、今期の決算書を綺麗に飾り、自らの退職金を確保することの方が合理的になってしまっている。彼らにとって、土を売って得たキャッシュは「自らの手腕による成果」としてカウントされる。

第二に、金融市場の短期的な圧力だ。投資家は、将来の不確実な成長よりも、今すぐ実行できる「資産の切り売り」と「現金化」を求める。この圧力が、企業の根幹である技術の根こそぎの流出を加速させている。

一時の「延命」のために、次の世代が戦うための武器を売り払う。この構造が維持されている限り、私たちはどれだけ努力しても「小作人」の地位から脱することはできない。

核心:目先のキャッシュのために、将来の収益源を手放す愚行

私たちは今、重大な分岐点に立っている。

「畑の土を売る農家」になってはいけない。土を売ることは、単なる資産の移動ではない。それは「未来を放棄する儀式」である。一度削り取られた土を元に戻すには、それまでの何倍もの時間とコストがかかる。あるいは、二度と戻らないかもしれない。

ビジネスの本質とは、資産を食いつぶすことではなく、資産を運用して価値を生み出し続けることだ。目先のキャッシュフローに目を奪われ、自らのコア・コンピタンスを他国や他企業に差し出す行為は、経営でも戦略でもない。それは、静かなる自死である。

私たちは、自分たちの「土」が何であるかを再定義しなければならない。それは単なるデータや特許だけではない。試行錯誤の歴史そのものだ。その重みを知る者だけが、真の競争力を取り戻すことができる。

もし、あなたの組織が「土」を売ろうとしているなら、それは再生の合図ではなく、終わりの始まりだ。小作人として他人の畑で跪く未来を拒むなら、今こそ「切り売り型」の思考を断ち切り、自らの足元にある肥沃な大地を死守せねばならない。

未来の収益源を手放すことは、未来の自由を売り払うことと同義なのだから。

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