麻酔に溺れる幸福な患者たち:なぜ私たちは自らの「切り売り」に拍手し続けるのか

あなたの足元で、何かが静かに削り取られている

満員電車に揺られ、スマートフォンの画面を指でなぞる。そこには、今日も誰かのスキャンダルや、美味しそうなグルメ動画、そして思わず吹き出してしまうようなショート動画が溢れている。私たちは日々、懸命に働いているはずだ。しかし、手元に残る実感はどうだろう。物価は上がり、手取りは増えず、将来への不安は霧のように立ち込めている。

にもかかわらず、私たちは怒り方さえ忘れてしまったかのようだ。「仕方がない」という言葉を呪文のように唱え、週末の娯楽を楽しみに、あるいは推しの活動に救いを見出し、一時の安らぎを得る。この奇妙なまでの平穏は何を意味しているのか。なぜ私たちは、自分たちの生活が少しずつ、しかし着実に蝕まれていることに、これほどまで無関心でいられるのだろうか。

本当は、誰もがうすうす気づいているはずだ。自分たちの立っている地面が、音もなく崩れ落ちようとしている事実に。だが、その恐怖を直視するには、今流れているエンターテインメントがあまりに甘美で、麻酔のように心地よすぎるのである。

出口のない手術室:バラエティという名の鎮痛剤

想像してみてほしい。あなたは今、清潔で無機質な手術台の上に横たわっている。体の上には手術布が被せられ、自分の胴体がどうなっているかは見えない。しかし、喉元には最新のヘッドセットが装着され、視界には極彩色のバラエティ番組が、耳元には陽気な笑い声が鳴り響いている。

「さあ、笑ってください! ほら、あなたの好きなアイドルが出ていますよ。あのタレントの不倫騒動、気になりますよね?」

執刀医たちは、あなたの視界の端で何やら慌ただしく動いている。何かが肉を切る鈍い音が聞こえるかもしれない。血の匂いが漂ってくるかもしれない。だが、麻酔科医が絶妙なタイミングで点滴のダイアルを回し、次々と新しいコンテンツをあなたの脳内に流し込む。「ほら、こっちを見て。これは感動の実話ですよ。泣けますよ」

あなたは笑い、あるいは涙を流す。その間にも、鋭利なメスはあなたの腹部を深く切り裂いている。執刀医たちは、あなたの腎臓を取り出し、あるいは血管を繋ぎ変え、あなたのものであるはずの部位をどこかへ運び去っていく。

あなたは痛みを感じない。それどころか、素晴らしい娯楽を提供してくれるこの手術室の環境に感謝さえしている。次はどんなアニメが配信されるだろうか、明日のニュースショーでは誰が叩かれるのだろうか。そうやって頭を空っぽにしている間が、一日の中で唯一の救いなのだ。だが、もし、ふとした瞬間に麻酔が切れ、テレビ画面が暗転したとしたら。

視界が戻り、自分の体を見下ろしたとき、そこにあるべき臓器がすべて失われていたとしたら。その時、あなたは一体誰に、どんな声を上げればいいのだろうか。

娯楽が隠蔽する「国家」という名の解体現場

視覚を奪うエンターテインメントの正体

この手術台の情景は、決して空想ではない。まさに今の日本、そして私たちが生きる社会そのものの写し鏡である。私たちが享受している過剰なまでの無料コンテンツ、絶え間なく流れてくる「世間話」レベルのニュース、そしてSNSで繰り返される不毛な論争。これらはすべて、私たちの感覚を麻痺させるための「麻酔(バラエティ)」としての役割を果たしている。

政治の私物化、社会保障の崩壊、増税の足音、そして決定権の不在。現実の世界では、私たちの生活の根幹に関わる重要な「臓器」が、次々と摘出され、利権の元へと運ばれている。しかし、メディアが報じるのは、誰がどこで不倫をしたか、どの芸人が失言したかといった、私たちの人生に一ミリも関係のないゴシップばかりだ。

構造的な病巣:誰が麻酔を打っているのか

なぜ、この構造は維持されるのか。答えは極めてシンプルである。あなたが大人しく寝ていてくれたほうが、手術(搾取)がスムーズに進むからだ。

ここで得をしているのは、利権のメスを振るう側の人々である。彼らにとって最も恐ろしいのは、患者が目を覚まし、手術台の上で暴れだすことだ。もし国民が自分たちの生活を壊している真の原因に気づき、一致団結して声を上げ始めたら、彼らの特権的な地位は崩れ去る。

だからこそ、彼らは「麻酔」を配り続ける。テレビ局には忖度の空気を流し、ネット上には注意を逸らすための「敵」を配置する。政治的無関心は、個人の怠慢ではない。それは、システムによって戦略的に作り出された「洗練された昏睡状態」なのだ。あなたがバラエティ番組を見て笑っている時間は、支配者層が最も安心して「仕事」ができる時間なのである。

政治的無関心は、支配者にとって最高の鎮痛剤

私たちは、いい加減に気づかなければならない。目の前のスマートフォンの光は、暗い現実から目を背けるための「目隠し」に過ぎないということを。

政治について語ることを「冷める」「面倒」だと感じるその感覚こそが、すでに毒が回っている証拠である。あなたが政治に無関心でいる間も、政治はあなたに決して無関心ではない。それは虎視眈々と、あなたの財布を、あなたの健康を、そしてあなたの未来を、合法という名の手続きで解体し続けている。

「目が覚めた時には、重要な臓器がなくなっているかもしれない」

この警句を、単なる脅しだと笑い飛ばせる時間はもう残っていない。社会構造の不条理を直視し、心地よい麻酔を自らの意志で拒絶すること。耳元のヘッドフォンを外し、視界に被せられた娯楽のスクリーンを引き剥がすこと。その時、初めて私たちは、自分たちが置かれた惨状に戦慄し、真の意味で自らの人生を取り戻すための闘いを始めることができる。

政治的無関心は、決して中立な立場ではない。それは、あなたを切り刻むメスに、無言の同意を与えているのと同じことなのだ。麻酔から覚める痛みは、あなたがまだ生きているという証である。その痛みを手放してはならない。

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