胃の腑に落ちない違和感の正体
私たちは、いつからこれほどまでに「言葉」を信じられなくなったのだろうか。
朝、ニュースを開けば並ぶのは、景気の回復を謳う威勢の良い数字。雇用は改善し、経済は緩やかに回復基調にあるという。しかし、スマートフォンの画面を閉じ、一歩外へ踏み出した瞬間に肌で感じるのは、それとは真逆の湿り気を帯びた閉塞感だ。スーパーの棚に並ぶ商品の値札は音もなく跳ね上がり、手取り給与は、まるで底に穴の開いたバケツのように、生活という乾いた地面に吸い込まれて消えていく。
政府が提示する「公式なデータ」と、私たちの「生の実感」。この二つの間にある巨大な裂け目は、もはや個人の努力や気の持ちようで埋められるレベルではない。私たちは、何か途方もない「まやかし」の中に閉じ込められているのではないか――。そんな、喉の奥に突き刺さった魚の骨のような違和感こそが、現代日本を覆う病の正体である。
腐臭を放つバックヤード:期限を偽る店主の論理
想像してみてほしい。あなたは、街で唯一の大きな食糧品店に買い物に来ている。
店内に一歩足を踏み入れると、煌々とした照明が商品を照らし、威勢のいいBGMが流れている。しかし、どこかおかしい。生鮮食品コーナーに近づくと、鼻をつくような、かすかな腐臭が漂っている。手にとったパックの肉は、心なしかどす黒く変色しているように見える。だが、そこに貼られたラベルには「本日加工」という鮮やかな印字があるのだ。
店の奥を覗き見れば、そこには店長の姿がある。店長は、奥から運ばれてきた明らかに古びた、変色した商品の山を前に、手際よく古いラベルを剥がしている。そして、こともなげに「最新の日付」が印字された新しいラベルを貼り直していく。
「店長、それはもう食べられないんじゃないか?」
客の一人が声を上げる。しかし、店長は表情一つ変えずにこう答える。「何を言っているんですか。ラベルを見てください。これは今日仕入れたばかりの、最高に新鮮な商品ですよ」
その店では、客が商品を食べて腹を壊しても、決して非を認めない。トイレに駆け込み、苦しみにのたうち回る客を横目に、店長は平然と言い放つ。「それはお客様の体調管理の問題でしょう。当店の新鮮な商品との因果関係は、科学的に証明されていませんから」
店長にとって重要なのは、客の健康ではない。店という組織の「メンツ」と、帳簿上の損益をいかに「綺麗に見せるか」だけなのだ。期限切れの商品は本来、廃棄し、なぜ失敗したのかを反省し、仕入れルートを見直さなければならない。しかし、彼はそのコストと責任を嫌い、ただラベルを張り替えるという「最も安易で卑劣な手段」を選び続けている。
隠蔽の構造:統計と公文書は誰のためにあるのか
この悪夢のような商店の光景は、決してフィクションではない。私たちの国で現実に起きている「公文書改ざん」や「統計不正」という名の、国家ぐるみのラベル張り替え作業そのものである。
腐敗した政策に「成功」のラベルを貼る技術
かつて「アベノミクス」という名の巨大な看板が掲げられた。その下で行われたのは、望ましい結果が出るように算出方法を調整し、都合の悪いデータを「不適切」として葬り去る行為だった。厚生労働省の毎月勤労統計で行われた不正は、まさに賞味期限の書き換えだった。実質賃金が下がっているという現実(腐った商品)を直視せず、算出手法をいじくり回すことで、あたかも賃金が上昇しているかのような粉飾(新しいラベル)を施したのである。
また、森友・加藤学園問題を巡る公文書改ざんは、店長が自らの不祥事の証拠をシュレッダーにかけ、事後的に帳簿を書き換えたのと同義だ。民主主義の根幹を支えるはずの「記録」が、権力者の一存で書き換えられる。そこには、国民に対する敬意など微塵も存在しない。
責任を霧散させる「因果関係不明」という免罪符
さらに深刻なのは、政策の失敗によって実害が出た際の対応だ。非正規雇用の拡大、格差の固定化、少子化の加速。これらは過去数十年の統治の失敗が招いた「集団食中毒」とも言える事態である。しかし、統治者たちは常に「因果関係は不明である」「外部要因によるものだ」と強弁し、自らのラベル張り替えが原因であることを認めようとしない。
この構造が維持される理由は単純だ。書き換えを指示する側には「政治的延命」という利益があり、実行する官僚側には「保身と組織防衛」という利益がある。彼らは同じ店(組織)の従業員として、不都合な真実を闇に葬る共犯関係にある。そして、そのツケを払わされるのは、常に毒味をさせられる客、つまり国民である。
事実の死こそが、未来を殺す
私たちは、単に「嘘を吐かれている」のではない。もっと恐ろしい事態に直面している。それは、事実そのものを捻じ曲げられ、「歴史の検証」という行為そのものを不可能にされているということだ。
本来、統計や公文書は、後世の人々が「あの時、何が間違っていたのか」を分析し、より良い未来を築くための羅針盤である。しかし、その記録が改ざんされてしまえば、失敗から学ぶことは永遠にできなくなる。腐った商品を売り続け、それが新鮮であったと嘘の記録を残す店に、明日の改善などあり得ない。
私たちが突きつけられているのは、事実を軽んじ、数字を遊び道具とする統治の末路だ。記録を書き換えることは、過去を殺すだけでなく、未来の可能性をも摘み取ることである。
「事実そのものを捻じ曲げ、歴史の検証を不可能にする大罪」
この罪を許し続ける限り、私たちは永遠に腐った現実を食らわされ続けることになる。私たちは、店長が手に持っているラベル貼り替え機を取り上げなければならない。たとえ不都合な真実であっても、ありのままの事実を記録させ、直視させる。そのための「監視の目」を取り戻すこと。それが、この出口のない不条理な商店から脱出するための、唯一の、そして最後の手段である。
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