乾ききった日常と、繰り返される「希望」の安売り
朝、重い体を引きずって満員電車に揺られる時。給与明細に刻まれた、差し引かれるばかりの不条理な数字を眺める時。私たちは、言いようのない徒労感に襲われる。物価は上がり、将来への不安は霧のように立ち込め、どれほど懸命に働いても、生活が劇的に好転する兆しはない。
「次は良くなる」「今度こそ変える」。選挙のたびに、街頭からは威勢の良い声が響き渡る。高らかに掲げられる公約(マニフェスト)は、さも明日には魔法がかけられるかのような輝きを放っている。しかし、喉元を過ぎれば、それらの言葉は秋の落ち葉のように忘れ去られ、私たちの手元には何も残らない。
なぜ、私たちはこれほどまでに報われないのか。なぜ、政治の言葉に従順に耳を傾けるほど、私たちは裏切られ続けなければならないのか。その理由は、この国が「実体のない紙切れ」で動かされているからに他ならない。
黄金のインクで書かれた、価値ゼロの紙切れ
想像してみてほしい。あなたは、ある広大な市場の中にいる。そこでは、人々が自分の汗と時間を差し出し、その対価として「手形」を受け取っている。
市場の広場には、仕立ての良いスーツを着た男たちが立ち並んでいる。彼らは、通行人をつかまえては満面の笑みでこう囁く。「今、私に力を貸してくれれば、一年後にはこの手形を純金と交換してあげよう。学校も、病院も、あなたの食卓も、すべてこの手形一枚で豊かになる」
男たちの手元にある紙切れには、美しい装飾が施され、力強い筆致で「幸福を約束する」と記されている。人々はその言葉を信じ、自分の貴重な資産や時間を彼らに差し出し、代わりにその手形を受け取る。
しかし、約束の期日が来ても、窓口は開かない。男たちは平然とした顔で新しい手形を刷り直している。「今は少し状況が変わった。でも次はもっと良い条件にする。この新しい手形を持っていてくれ」と。
最初の手形は、すでにただの紙屑だ。価値の裏付けなどどこにもない。しかし、奇妙なことに、この市場では誰もその男たちを追放しようとしない。それどころか、男たちは何度でも「必ず返します」という偽りの誓いを立て、また新しい紙切れをばら撒き続けている。
その紙の重みで、人々の背中は曲がり、市場は活気を失っていく。それでもなお、男たちはインクを惜しまず、もっともらしい理想を書き込み続ける。なぜなら、彼らにとってその紙切れは、人々の「現在」を安く買い叩くための、ただの道具でしかないからだ。
政治の言葉がインフレを起こす構造的欠陥
この「出口のない市場」の光景は、現代日本における政治公約のあり方そのものである。
「空手形」の乱発という詐欺的スキーム
政治家が選挙のたびに提示するマニフェストは、本来、主権者である国民に対する「債務」であるはずだ。特定の政策を実行するという約束と引き換えに、私たちは「票」という名の白紙委任状を渡す。しかし、現実にはこの手形は、最初から不渡りを出すことを前提に振り出されている。
これがビジネスの世界であれば、一度でも不渡りを出せば銀行取引は停止され、市場から退場させられる。しかし、政治の世界では、公約を破ることは「状況の変化」という便利な言葉で正当化され、次の選挙ではまた同じような毛色の違う「手形」が刷られる。
メディアという「信用情報機関」の機能不全
なぜ、これほど露骨な「やるやる詐欺」が通用し続けるのか。それは、政治の信用情報を管理すべきメディアが、その役割を放棄しているからだ。
本来、メディアは「過去にどの公約が守られ、どの約束が破られたか」を冷徹に記録し、常に突きつける存在でなければならない。不渡りを出した政治家に対しては、「ブラックリスト」入りを宣告する社会的機能を持つべきだ。しかし、現在のメディアは、選挙のたびに「各党の公約比較」という新たな手形の内容を横並びで紹介するだけで、その手形にどれほどの裏付けがあるか、過去の債務をどう清算したかについては深く踏み込まない。
この「忘却の装置」がある限り、政治家はノーリスクで嘘をつき続けることができる。
誰がこの「言葉の暴落」から利益を得ているのか
この構造によって最も得をするのは、既得権益の中に身を置く者たちだ。抽象的で華やかな公約が乱舞する背後で、具体的な利権の再分配は密室で行われる。国民が「次は給料が上がるのか」「子育て支援は充実するのか」と、配られた手形の文字を必死に解読している間に、実効性のある予算や法案は、声の大きい組織や、彼らに資金を供給する勢力に都合よく書き換えられていく。
「やるやる詐欺」が常態化すると、国民の側には深い「政治的無気力」が蔓延する。どうせ誰を選んでも変わらない、どうせ約束は守られない。この諦念こそが、権力者にとっての最大の報酬である。国民が監視を諦め、言葉の価値を信じなくなった時、統治は最も容易になるからだ。
政治の言葉は、今やかつてないほどのインフレを起こしている。どれほど耳に心地よいフレーズが並んでも、そこに重みはない。言葉が軽くなればなるほど、私たちの生活は重く、苦しいものになっていく。
「手形の美しさ」を見るのを、今すぐにやめよ
私たちは、もういい加減に気づかなければならない。手形に書かれた「黄金の文字」に期待を寄せる段階は、とっくに過ぎ去っている。
必要なのは、新たな手形を受け取ることではない。過去に振り出された手形の山を突きつけ、「なぜこれが決済されていないのか」を問う執拗さである。政治家がどれほど新しい理想を語ろうとも、それを「不渡りを出し続けている債務者の言い訳」として聞き流す冷徹な視点が必要なのだ。
この国の閉塞感を打破する唯一の道は、政治の言葉に再び「重み」を取り戻させることだ。そのためには、裏付けのない公約を振り出す者を、詐欺師として社会的に抹殺し、二度と公の場に立たせないという冷酷なまでの選別が欠かせない。
「やるやる詐欺」を許しているのは、他ならぬ私たちの「お人好しな忘却」である。
美しい嘘に酔いしれるのはもう終わりにしよう。今、私たちが掴まされているのは、未来への希望ではない。次世代の取り分まで先食いして刷られた、価値なき紙屑なのだから。
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