点滴に繋がれた巨人が、未来の寝床を奪う——日本経済を蝕む「延命の不条理」

終わりのない消耗戦、私たちは何のために働いているのか

朝、満員電車に揺られ、あるいは深夜のオフィスでモニターの光に照らされながら、あなたはふとした瞬間に空虚さを感じたことはないだろうか。どれほど必死に働き、どれほど効率化を突き詰めても、個人の生活は一向に豊かにならず、社会全体の閉塞感は増すばかりだ。あたかも、大きな穴を掘っては埋めるだけの無意味な労働を強いられているような、重苦しい徒労感。

「努力は報われる」という言葉が、もはや使い古された詐欺の文句のように聞こえるのは、あなたの感性が歪んでいるからではない。むしろ逆だ。今の日本という社会が、ある種の「致死的なバグ」を抱えたまま、無理やり再起動を繰り返している事実を、あなたの本能が察知しているからに他ならない。なぜ、どれほど汗を流しても新しい風は吹かず、私たちは出口のない停滞の中に閉じ込められているのか。その正体は、私たちが必死に守り続けている「巨大な何か」の影に隠されている。

巨大な病室、そして音を立て続ける古い装置

想像してみてほしい。そこは、果てしなく広い、重苦しい空気の漂う地下の病室だ。

部屋の中央には、かつてこの国を繁栄に導き、外敵から守ってきたという伝説の「巨人」が横たわっている。その体躯は山のように巨大で、かつては黄金の鎧をまとい、力強く大地を鳴らして歩いていた。しかし、今のその姿はどうだ。皮膚は青白く弛み、瞳には生気がない。自力で立ち上がる力はおろか、呼吸を維持することすらままならない。

巨人の腕には、無数の細い管——「点滴」が繋がれている。その管は壁を突き抜け、外界にいる国民一人ひとりの血管へと直結している。国民が日々懸命に働き、その滴るような生体エネルギーを吸い上げ、延命液として巨人の体内へ送り込み続けているのだ。

病室には不快な機械音が響いている。プシュッ、プシュッという人工呼吸器の音。それは巨人の命を繋ぐ音であると同時に、国民の資源を搾り取るカウントダウンでもある。

さらに残酷な光景がある。巨人があまりにも巨大なベッドを占領し、部屋中の酸素を吸い尽くしているため、その傍らで震えている「小さな子供たち」が、安らげる場所を失っているのだ。子供たちは新しい知恵を持ち、俊敏に動ける可能性を秘めている。だが、彼らが横たわるべきベッドも、彼らが成長するために必要な栄養も、すべては「かつての英雄」である巨人を死なせないために、優先的に奪い去られていく。

「この巨人を死なせてはいけない。彼がいなくなれば、この部屋の秩序は崩壊する」

白い衣をまとった管理職たちはそう唱え、今日も点滴のダイヤルを回す。だが、誰も問いかけない。その巨人は、いつ、再び自分の足で立ち上がるのだ、と。

「大きすぎて潰せない」という甘美な毒薬

この奇怪な光景は、決してファンタジーではない。今の日本経済が直面している「ゾンビ企業の延命」という構造的欠陥そのものである。

低生産性の維持という名の「緩やかな死」

かつて日本の高度経済成長を支えた「巨人」たる大企業たちは、今や公的支援、低金利融資、そして過剰な規制緩和という名の点滴なしには、その巨体を維持できなくなっている。本来であれば市場競争の中で淘汰され、その資源(人材、資本、技術)が次世代へと引き継がれるべきところが、「雇用維持」や「経済混乱の回避」という大義名分の下、莫大な税金とコストを投じて無理やり生かされている。

これが、私たちが直面している「大企業の救済」がもたらす副作用だ。政府や金融機関が「大きすぎて潰せない(Too Big to Fail)」という論理を振りかざすたびに、市場の浄化作用は失われていく。

スタートアップという「子供たち」の窒息

問題の本質は、既存企業が生き残ることではない。その存在が、新しい産業の芽を物理的に押しつぶしていることにある。

日本においてスタートアップが育たないと言われて久しい。その理由は、起業家精神の欠如などという精神論ではない。構造的な問題だ。優秀な人材(血液)が、特に付加価値を生み出さない大企業の維持に拘束され、潤沢な資金(栄養)が、成長の見込みのない既存事業の赤字補填に消えていく。

巨人がベッドを独占している限り、新しい子供たちが健やかに眠り、成長するスペースはどこにもない。資源には限りがあるのだ。死ぬべきものが死なない社会では、生まれるべきものが生まれることができない。

構造的な病巣:誰がこの不条理を望んでいるのか

なぜ、この不条理な構造は維持され続けるのか。それは、このシステムが生み出す「短期的な安定」によって利益を得る層が存在するからだ。

まず、政治家にとっては、自らの任期中に大企業の倒産というスキャンダルを避け、確実な票田を守るための「安定」が必要だ。金融機関にとっては、多額の債務を抱えた巨人が生き続ける限り、利息という名の吸い上げを継続できる(あるいは損失の先送りができる)。そして、大企業の経営層にとっては、革新という痛みを伴う手術を受けるより、点滴を浴びながら現状を維持する方が遥かに「楽」なのである。

彼らは口を揃えて言う。「急激な変革は社会を混乱させる」と。しかし、その「混乱の回避」という名目で行われているのは、若者や将来世代からの資源の略奪に他ならない。私たちは、未来を人質に取った「死に体の延命」に加担させられているのだ。

産業の新陳代謝を阻害する「優しさ」という暴力

結論を述べよう。「大きすぎて潰せない」という論理は、もはや産業における慈悲ではない。それは、日本という国家を腐敗させ、緩やかな死へと導く「構造的な暴力」である。

自然界において、森が豊かであり続けるためには、老木が倒れ、土に帰り、そこから新しい苗木が光を浴びて成長するプロセスが不可欠だ。今の日本は、立ち枯れた巨木にワイヤーを巻き付け、無理やり立たせたままにしている歪な森だ。その影で、新しい芽は日光を遮られ、痩せ細り、枯れていく。

私たちが今、真に必要としているのは、巨人の点滴を抜く勇気である。

それは冷酷な切り捨てではない。巨人の体に流れている資源を解き放ち、新しい生命、新しい産業、そして未来を担う世代へと循環させるための「新陳代謝」の号令だ。痛みを伴わない再興など存在しない。今すぐこの「巨人の病室」の扉を蹴り開け、澱んだ空気を入れ替えなければ、私たちはこの病室ごと、歴史の闇へと沈んでいくことになるだろう。

「守るべきもの」を見誤ってはならない。私たちが守るべきは、過去の抜け殻ではなく、これから生まれてくる未来の可能性なのだから。

コメント

この記事へのコメントはありません。

最近の記事
おすすめ記事1
PAGE TOP