善意の仮面を被った「静かなる収奪」の正体
毎朝、テレビをつければ「持続可能な社会」という標語が躍り、コンビニの棚にはプラスチックを削減した不便なパッケージが並ぶ。私たちは少しずつ不便を強いられ、少しずつ高い買い物をさせられながら、それでも「地球のためなら仕方ない」と自分に言い聞かせている。だが、心の奥底で拭いきれない違和感はないだろうか。エコを謳う企業の利益は過去最高を記録し、環境を語る政治家の懐には巨額の補助金が流れ込み、一方で私たちの可処分所得は減り続けている。
なぜ、私たちはこれほどまでに「正義」に首を絞められなければならないのか。なぜ、地球を救うはずの試みが、弱者からの搾取という形に帰結してしまうのか。その答えは、現代社会が巧妙に隠蔽している「構造的な不条理」の中にある。私たちが信じ込まされている「優しさ」の正体は、実は飢えた獣が用意した狡猾な罠なのだ。
「緑の草原」を彷徨う、迷える子羊たちの悲劇
想像してみてほしい。霧に包まれた、どこまでも続く美しい緑の草原を。
そこには、何千、何万という羊たちが暮らしている。羊たちの間には、ある「高潔な予言」が共有されていた。「この草原の草を食い尽くしてはならない。未来の羊たちのために、私たちは飢えを我慢し、より少ない草で生きる術を学ぶべきだ」と。羊たちは、その言葉に深く感動した。自分たちの欲望を抑えることが、世界の救済に繋がると信じたのだ。
ある日、羊たちの前に「賢者」のような風貌をした一匹の羊が現れた。彼は誰よりも立派な毛並みを持ち、誰よりも慈愛に満ちた声で「持続可能な草原の管理」を説いた。彼は、特定のエリアの草を食べるための「許可証」を発行し、効率的に草を管理するための「システム」を構築した。羊たちは喜んで彼に従った。彼こそが、草原を救うリーダーだと信じたからだ。
しかし、夜の静寂の中、月の光がその「賢者の羊」を照らしたとき、不気味な真実が露わになる。風に揺れた彼の毛皮の下から覗いたのは、血に飢えた鋭い牙と、獲物を冷酷に見据える金色の瞳だった。
彼は羊などではなかった。羊の皮を被り、羊の言葉を完璧に模倣した「狼」だったのである。
狼は、羊たちに「節制」を説きながら、裏側では草原の管理権を独占し、甘い汁を吸い尽くしていた。「エコな草」を食べるために、羊たちは自分たちの毛を狼に差し出さなければならなくなった。羊たちが痩せ衰えていく一方で、狼の腹は膨れ上がり、彼の家族や仲間たちだけが、肥沃な土地を秘密裏に分け合っていたのだ。羊たちは自分が搾取されていることに気づかない。なぜなら、目の前のリーダーは、自分たちと同じ「優しい羊の姿」をしているのだから。
美しいスローガンという名の「新・植民地支配」
環境ビジネスが隠蔽する不都合な真実
この寓話における「狼」こそが、現代のSDGsや環境ビジネスを主導する利権集団である。彼らは「地球のため」という、反論を許さない絶対的な正義を盾に、経済のルールを自分たちに都合よく書き換えている。
かつての植民地支配は、武力によって行われた。しかし、現代の支配は「倫理」によって行われる。先進国のエリート層が定義した「正しい基準」を満たさない国家や企業は、資本市場から排除される。途上国が安価なエネルギーで発展しようとすれば「炭素排出」という罪を突きつけられ、成長の芽を摘まれる。一方で、その裏側では排出権取引という名の「空気の売買」に投資マネーが群がり、実体のない価値がマネーゲームの道具と化している。
これこそが、令和の時代における「新・植民地支配」の構造だ。彼らは銃を構える代わりに、美しいパンフレットと、横文字の専門用語を並べ立てる。
巧妙に設計された「絞り取り」のシステム
なぜこの構造は、これほどまでに強固に維持されているのか。それは、このシステムが「善意の一般市民」を組み込んだ、巨大な共犯関係の上に成り立っているからだ。
- 罪悪感の植え付け: メディアを通じて個人に「環境破壊の加害者」としての意識を植え付ける。
- 免罪符の販売: 「この商品を買えば環境に貢献できる」「この基金に寄付すれば安心だ」という免罪符を提示する。
- 利権の固定化: 補助金という形で、税金を一部の「認定企業」へと還流させる。
結局のところ、得をしているのは誰か。それは、ルールを作る立場にいる者たちだ。炭素税を導入し、補助金を分配し、投資の評価基準を決める側。彼らにとって、地球の気温が1度上がるかどうかよりも重要なのは、その「正義」を用いていかにして他者の財布から金を移し替えるか、という一点に尽きる。
正義という名のビジネスを疑え
私たちは、もう一度「正義」の顔をじっくりと観察しなければならない。その仮面の下にあるのは、本当に慈悲の心だろうか。それとも、あなたの資産を、生活を、そして精神を食い尽くそうとする獰猛な牙ではないだろうか。
「正義を掲げるビジネスほど、その実態を疑う必要がある。」
この言葉を、現代を生き抜くための護身術として刻んでほしい。本当の持続可能性とは、他人の作った基準に振り回されることではない。誰がそのルールを作り、誰がその金を受け取っているのか。その「金の流れ(マネートラック)」を冷静に追いかけることだ。
世界を変えるのは、盲目的な善意ではない。不条理な現実に向けられた、シニカルで鋭い「疑い」の眼差しである。羊の皮を被った狼が、あなたの背後に忍び寄っていないか。それを確かめる義務が、私たちにはあるのだ。
コメント