スキャンダルの狂騒に踊る日本:なぜ私たちは「手品師の左手」を見逃し続けるのか

怒りと冷笑の狭間で、奪われ続ける私たちの未来

朝、スマートフォンを開けば、そこには昨日まで聖人君子のように振る舞っていた著名人の「不倫」や「失言」が並んでいる。SNSのタイムラインは義憤にかられた正義の味方たちによる糾弾で埋め尽くされ、ワイドショーのコメンテーターはしたり顔で道徳を説く。私たちはその熱狂の渦中で、誰かを叩く快楽に酔いしれ、あるいは他人の不幸を蜜の味として消費する。

しかし、ふと立ち止まって考えてみてほしい。その熱狂の裏側で、あなたの生活に直結する「何か」が、音もなく書き換えられているのではないか。なぜこれほどまでに、特定の個人の私生活が、国家の行く末を左右する議論よりも優先して報じられるのか。私たちは自由な意志でニュースを選んでいるつもりでいながら、実は精巧に仕組まれた舞台装置の上で、踊らされているだけではないのか。

私たちが感じるこの言いようのない閉塞感と、どれだけ働いても報われない徒労感。その正体は、私たちが「見るべきもの」から意図的に目を逸らされているという不都合な真実にある。

喝采と罵声のステージ、その影で動く「左手」の真実

想像してみてほしい。あなたは今、古びた劇場の最前列に座っている。ステージの上には、燕尾服に身を包んだ一人の手品師が立っている。

手品師は、大げさなジェスチャーと共に右手を高く掲げた。そこには燦然と輝く黄金のコインがある。彼はそのコインを空中へ投げ、華麗な指さばきで消してみせる。客席からは歓声が上がり、スポットライトは彼の右手を執拗に追いかけ続ける。観客は皆、その鮮やかな手つきに釘付けになり、隣の客と「あんな魔法があるなんて!」と興奮気味に語り合う。

だが、ステージの隅、スポットライトが届かない暗闇に目を凝らしてみるがいい。

手品師の左手は、だらりと下げられているようでいて、実は極めて精密に、そして冷酷に動いている。観客が右手のコインに目を奪われている隙に、左手はそっとテーブルの下に潜り込み、巧妙な仕掛けを施している。あるいは、あなたが大切に足元に置いていた財布の中身を、音もなく抜き取っている。

観客が「魔法」の余韻に浸っている頃には、もう手遅れだ。手品師が右手を広げ、演出が終わったとき、あなたは自分が何を失ったのかさえ気づかないまま、劇場の外へ放り出されることになる。その左手の動きは、右手の華やかさが激しければ激しいほど、より容易に、より大胆に完遂されるのだ。

「スピン報道」という名の国家的マジック

この劇場の風景は、決して寓話ではない。今、この国で起きている情報空間の縮図そのものである。

芸能人の不倫の裏で「不可逆の決定」がなされる構造

私たちが「手品師の右手」、すなわち芸能人の不倫や政治家の失言といった刺激的なスキャンダルに怒り狂っているとき、政府や既得権益層という名の「左手」は着実にタネを仕込んでいる。

過去の事例を振り返れば、そのパターンは驚くほど一貫していることがわかる。国民的な注目を集める大物タレントの逮捕や、センセーショナルな週刊誌報道がメディアを独占しているその当日、あるいはその翌日、国会では国民の負担を増やす増税案や、外資への露骨な利益供与となる規制緩和、あるいは基本的人権を制限しかねない重要法案の採決が、ひっそりと、しかし確実に行われている。

これは偶然ではない。人々の関心を特定の方向に誘導し、真に議論すべき重大事から目を逸らさせる「スピン報道」と呼ばれる高度な世論操作技術だ。怒りの矛先を「個人」に向けさせることで、構造的な「悪意」を隠蔽するのである。

誰がこのマジックで利益を得ているのか

では、なぜこの構造は維持されるのか。それは、この手品が全ての「共犯者」にとって都合が良いからだ。

メディアは視聴率とPVを稼ぐために、安上がりで刺激的なスキャンダルを渇望する。政治家は、不人気な政策を通す際の「隠れ蓑」としてそれを利用する。そして、私たち大衆もまた、複雑な社会構造や経済理論を理解する苦労を放棄し、わかりやすい「悪人」を叩くことで得られるカタルシスという毒薬を求めてしまう。

この三角形が完成している限り、手品師の左手は止まることがない。私たちが右手に気を取られている間に、水道の民営化が決まり、種子法が廃止され、防衛費増額のための増税が既定路線化される。気づいたときには、私たちは自分たちの首を絞めるためのロープの代金を、自分たちの財布から支払わされているのだ。

ニュースの本質は「隠された空白」にある

私たちは、情報の消費者であることを辞め、情報の「解読者」にならなければならない。

情報は、単にそこに提示されたものだけで構成されているのではない。むしろ、意図的に提示された情報の背後にある「空白」にこそ、真実が潜んでいる。権力にとって都合の悪い事実は、抹消されるのではなく、より大きな騒ぎによって「上書き」されるのだ。

今、この瞬間にテレビが、ネットニュースが、こぞって同じ話題を繰り返しているのなら、深呼吸をして反対側を向くべきだ。その喧騒から最も遠い場所で、誰が、何を、こっそりと決めたのかを探りなさい。

ニュースの価値は、何が報じられたかによって決まるのではない。その裏側で、何が報じられなかったか、何が隠されたかによって決まるのだ。

「手品師の左手」を直視する勇気を持つこと。それだけが、私たちが劇場の操り人形から脱し、自らの手で自らの未来を奪い返すための、唯一にして最初の対抗手段なのである。

コメント

この記事へのコメントはありません。

最近の記事
おすすめ記事1
PAGE TOP