止まらない「渇き」と、終わらない公共事業の嘘
蛇口をひねれば、そこには輝かしい未来が待っているはずだった。地方創生、地域活性化、あるいは一極集中の是正。私たちは、長きにわたってそんな美辞麗句を耳にし続けてきた。しかし、ふと足元を見てみれば、そこに広がっているのは豊かな緑ではなく、ひび割れたアスファルトと、シャッターの降りた商店街、そして若者が一人もいなくなったバス停である。
私たちは、なぜこれほどまでに報われないのだろうか。毎年、巨額の予算が国から地方へと流れているはずだ。地方交付税、多様な補助金、緊急対策費。その総額は国家予算の大きな割合を占め、私たちの血税を源泉としている。それなのになぜ、地方の疲弊は止まらず、私たちは常に「金が足りない」という悲鳴を聞かされ続けなければならないのか。
その答えは、経済学の教科書にあるのではない。私たちの目の前にある「構造」そのものが、根本的に壊れているからだ。
黄金の水を飲み干す「砂の器」の物語
想像してみてほしい。あなたは、照りつける太陽の下、乾ききった大地に立っている。目の前には、村に唯一残された巨大な「バケツ」がある。村人たちは、このバケツに水を溜めることさえできれば、豊かな生活が戻ってくると信じている。
遠くの山にある「中央の泉」からは、定期的に黄金色の水が運ばれてくる。村のリーダーたちは、その水が到着するたびに太鼓を叩き、万歳三唱で迎える。「これでもう安心だ!」「次はもっと多くの水を運ばせるぞ!」と。
しかし、水がバケツに注がれた瞬間、奇妙な音が鳴り響く。ゴボゴボという濁った音だ。バケツの底、そして側面には、無数の「穴」が空いている。水は溜まるそばから、その穴を通って地面へと吸い込まれていく。その穴は、あるものは「古くから続く土建業者への不透明な発注」であり、あるものは「誰も利用しない豪華な文化施設」であり、あるものは「天下り役員の椅子を維持するための維持費」である。
村人たちは、穴から漏れ出す水を見て絶望する。だが、そこでリーダーたちが叫ぶのは、穴を塞ぐ方法ではない。「おい!もっと大きな柄杓を持ってこい!」「山の上から引くパイプを二倍にしろ!」「水が足りないのは、中央の泉が我々を軽視しているからだ!」
砂漠に消えゆく水の音を、リーダーたちの怒声がかき消していく。そして、誰もが「穴を塞ぐ」という最も単純な解決策を口にすることをタブー視している。なぜなら、その穴こそが、特定の誰かにとっては「潤い」そのものだからだ。
膨らみ続ける予算と、放置される「構造的欠環」
浪費を美徳へと変換する政治的マジック
この比喩が描く光景は、現代日本の地方財政そのものである。私たちが目撃している「地方創生」の実態は、まさに「穴の空いたバケツ」に水を注ぎ続ける徒労の儀式に他ならない。
国から分配される地方交付税や各種補助金は、本来、地方が自立するための「呼び水」であるべきだった。しかし、現実に起きているのは、その資金が地域の真の競争力を高めるために使われるのではなく、既存の利権構造を維持し、集票に結びつく慣例的な事業を延命させるために消費されるという事象だ。
特に顕著なのが「建設・ハコモノ」への依存である。雇用を生むという名目で行われる公共事業の多くが、完成した瞬間から負の遺産へと変貌を見せる。維持費という名の新たな「穴」を生み出し、その穴を塞ぐためにまた新たな予算を要求するという、悪循環の再生産が行われているのだ。
誰が「穴」を維持したがっているのか
なぜこの不条理な構造は維持されるのか。それは、穴から漏れ出す水で潤っている勢力が、地方における決定権を握っているからである。
特定の業者、地元の有力者、そしてそれらと密接に結びついた政治家。彼らにとって、バケツに水が溜まる(=地域が自立する)必要はない。むしろ、水が常に漏れ続け、「足りない、もっと必要だ」と叫び続ける状態こそが、国から新たな予算を引き出すための最強のカードになる。
構造改革を訴え、バケツの穴を塞ごうとする者は「地域を見捨てるのか」というレッテルを貼られて排除される。かくして、本質的な議論は常に先送りにされ、議論の焦点は「いかにして中央から多くの水を引っ張ってくるか」という配分論に終始することになる。
地方創生が成功しないのは、金が足りないからではなく「穴」があるからだ
私たちは今、大きな視点の転換を迫られている。これ以上、バケツに注ぐ水の量を増やすことに心血を注いではならない。いくら蛇口を全開にしたところで、底が抜けた容器に水は溜まらない。
今の地方に必要なのは、新しい補助金でも、華やかなイベントでも、最新鋭のIT設備でもない。今、この瞬間も税金を垂れ流し続けている「構造的な穴」を冷徹に見極め、それを力ずくで塞ぐ勇気である。
非効率な行政サービスの整理、癒着に基づいた入札の透明化、そして「維持すること自体が目的化」している施設の廃止。これらは痛みを伴う作業だ。しかし、この痛みを回避し続ける限り、地方の未来は「永遠に終わらない渇き」の中で消滅していくだけだろう。
「お金がないからできない」のではない。「穴があるから、お金が消えていく」のだ。
この残酷な事実に、私たちは真正面から向き合わなければならない。納税者としての私たちの怒りは、水の少なさではなく、バケツの穴の多さに向けられるべきである。構造を正さない限り、どんな救済策も、浪費という不条理を正当化する口実にしかならないのだから。
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