微笑みの裏側に潜む「際限なき請求書」という徒労
私たちはいつから、国際社会という教室において、特定のクラスメイトの顔色を伺い続ける「気弱な優等生」の役割を引き受けてしまったのだろうか。
ニュースを眺めれば、また新たな支援の決定、あるいは巨額の技術供与のニュースが流れる。それに対するリアクションは、感謝の言葉ではなく、さらなる謝罪の要求や、不十分だという恨み言だ。私たちは、自分たちの血税が、遠い異国のインフラ整備や産業振興に使われることを、どこか仕方のないことだと諦めてはいないか。あるいは、そうすることでしかこの地域の平和は保てないと、自分たちに言い聞かせてはいないか。
しかし、その「配慮」の結果、私たちの生活は豊かになっただろうか。物価は上がり、実質賃金は停滞し、未来への不安は募るばかりだ。それなのに、隣国からの要求は止まらず、私たちはそれを拒めない。この終わりのない「奉仕」の正体は何なのか。なぜ私たちは、報われることのない献身を強行させられ続けているのか。この違和感の正体を、一度冷静に解剖してみる必要がある。
善意という名の「出口なき一方通行」
想像してみてほしい。あなたには、ある「友人」がいる。
その友人は、生活が苦しくなると必ずあなたの家のチャイムを鳴らす。「今月、どうしても足りないんだ。お前と俺の仲だろう?」と、親しげな笑顔で肩を叩き、あなたの財布から当然のように紙幣を抜き取っていく。あなたは、彼との平和な関係を壊したくない一心で、無理をしてでも金を渡す。彼がそれで少しでも生活を立て直し、いつか肩を並べて笑える日が来ることを信じて。
だが、現実はどうだろうか。彼はあなたの金で買った高級車に乗りながら、街角ではあなたの悪口を言いふらしている。「あいつは過去に俺に対してひどいことをした。だから金を払うのは当然だ」と。
ある時、あなたも生活が苦しくなり、ついに「もう貸せない」と断る。その瞬間、彼の態度は豹変する。今まで見せていた愛想笑いは消え、氷のような冷徹な目であなたを睨みつけ、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてくる。「薄情者」「裏切り者」「過去の罪を忘れたのか」。
あなたは恐ろしくなり、震える手でまた財布を開く。すると彼は、再び満足げな笑みを浮かべ、「やっぱりお前は親友だ」と甘い言葉を囁く。この繰り返しだ。そこには対等な対話も、積もる友情も存在しない。あるのは、あなたのリソースを吸い尽くすための「友好」という名の呪縛だけである。あなたは気づいているはずだ。この関係を維持するために、あなたは自らの未来を切り売りしているのだということに。
「外交」という名の構造的搾取
この不条理な物語は、決して個人の人間関係のトラブルではない。これこそが、日本の外交が陥っている「ATM型」の構造そのものである。
ODAと技術供与が招いた「依存と傲慢」のジレンマ
長年、日本はODA(政府開発援助)や無償の技術供与を通じて、隣国の発展を支えてきた。それは本来、地域の安定という大義名分のもとに行われた「投資」であったはずだ。しかし、結果として構築されたのは、対等なパートナーシップではなく、困った時だけ「友達だろ」と金を無心する、歪な依存関係だった。
かつて日本が提供した技術は、今や隣国の基幹産業を支え、中には日本企業を脅かすまでの存在になったものもある。しかし、そこに「恩義」という概念は存在しない。彼らにとって日本の支援は、自らの権利であり、日本の義務であるというロジックにすり替えられているからだ。
「ご機嫌とり」が生む負の螺旋
なぜ、この構造は維持され続けるのか。それは、日本の政治・外交における「現状維持バイアス」と「事なかれ主義」が、隣国にとって最も利用しやすい脆弱性だからである。
金を渡せば一時的に静かになる。批判を浴びれば謝罪し、さらに譲歩を重ねる。この「ご機嫌とり」のプロセスは、短期的には波風を立てないための最も安易な選択肢に見える。しかし、マクロな視点で見れば、それは「悪口を言えば金が出る」という学習を相手にさせているに過ぎない。
この構造で得をしているのは誰か。それは、日本の技術を安価に手に入れ、自国のナショナリズムを煽ることで政権の求心力を維持している隣国の支配層だ。一方で、損害を被っているのは、汗水垂らして働いた税金が、自国の未来ではなく、他国の「ご機嫌とり」に消えていく日本の一般市民である。
「友好」という美辞麗句を解体せよ
私たちはいい加減、目を覚まさなければならない。「友好」や「絆」という言葉が、外交の場ではいかに空虚で、時に狡猾な武器として使われるかを。
国際政治という冷徹なリアリズムの世界において、無償の愛や永遠の友情など存在しない。そこにあるのは、剥き出しの利害関係だけだ。外交における「友好」とは、共通の利益がある時だけに交わされる、期限付きの合意事項に過ぎないことを知るべきである。
もし、相手が提供する利益が「沈黙」や「表面的な穏やかさ」だけであり、それに対して日本が提供するコストが「莫大な資金」と「国家の尊厳」であるならば、その取引は成立していない。それは外交ではなく、単なる「恐喝」と「屈服」の連鎖である。
私たちは、隣国の財布であることを辞める勇気を持つべきだ。金を渡さなくなった時に浴びせられる悪口を、恐れる必要はない。それこそが、相手があなたを「対等な国家」としてではなく、単なる「便利な資源」として見ていたことの証明なのだから。
本当の自立とは、NOを言うことで生じる一時的な摩擦を、甘んじて受け入れることから始まる。共通の利益がない場所に「友好」の文字を書き込むのは、もう終わりにしよう。日本のリソースは、日本の未来を創るためにこそあるべきなのだ。
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