茹でガエルの合唱:私たちが「ぬるま湯の地獄」で歌い続ける理由

忍び寄る「静かなる絶望」の正体

朝、目が覚めた瞬間に感じる、説明のつかない重苦しさ。満員電車に揺られながら眺めるスマートフォンの画面には、物価高騰、増税、実質賃金の低下といった無機質なニュースが躍る。しかし、私たちはそのニュースを指先で弾き飛ばし、束の間のエンターテインメントに逃げ込む。

「まだ、大丈夫だ」

そう自分に言い聞かせる声が、街の至る所から聞こえてくる。だが、その根拠は何だろうか。かつて中流と呼ばれた生活は、今や贅沢品に姿を変え、若者たちは将来の夢よりも、明日の支払いに怯えている。それでもなお、社会に決定的なパニックは起きない。暴力的な革命も、大規模な暴動も発生しない。

私たちは、自分が置かれた状況が「危機的」であることを十分に理解していながら、同時に「致命傷ではない」と誤認し続けている。この奇妙な凪の状態こそが、この国の真の病理である。なぜ、私たちはこれほどまでに報われない努力を続け、沈みゆく船の上で平然と歌い続けることができるのだろうか。

黄金の鍋の中で交わされる、心地よい「死の対話」

想像してみてほしい。そこは、白磁の美しい巨大な鍋の中だ。あなたは仲間たちと共に、透き通った水に浸かっている。底からは微かな熱が伝わり、水温は体温よりも少し高い程度で、実に心地よい。差し込む日差しは明るく、周囲からは楽しげな歌声さえ聞こえてくる。

「少し、暑くなってきていないか?」

誰かがそう呟く。確かに、一時間前よりは少しだけ温度が上がっているかもしれない。しかし、隣の男は笑って首を振る。「気のせいだよ。それに、この温かさが今のトレンドさ。慣れればむしろ、これくらいの方が血行が良くなって健康にいいくらいだ」

あなたは納得する。確かに、すぐに飛び出さなければならないほどの熱さではない。外の世界は寒そうだし、この鍋から飛び出すには、かなりの跳躍力が必要だ。もし失敗して縁に頭をぶつけたら? そう考えると、今のまま留まる方が賢明に思えてくる。

時間が経つにつれ、水温は確実に、しかし残酷なほどゆっくりと上昇していく。あなたの皮膚は赤みを帯び、呼吸は少しずつ浅くなっていく。しかし、鍋の中にいる全員が同じ状況にあるため、それが「異常」だとは誰も言わなくなる。むしろ、この熱さに耐えることこそが美徳であり、忍耐強いカエルこそが尊敬される、という奇妙なルールすら出来上がる。

「みんな耐えているんだ。甘えるな」「明日になれば、水温を下げる神風が吹くはずだ」

合唱は次第に大きく、熱狂的になっていく。しかし、その歌声の裏で、あなたの足の筋肉は確実に熱で凝固し、もはや鍋の縁を乗り越えるだけの筋力を失っていることに、誰も気づこうとしない。

「まだ大丈夫」という呪詛と、構造化された収奪

この比喩が描く情景は、現代日本の残酷な写し絵である。

増税と物価高という、目に見えない火力調整

「茹でガエルの合唱」において、水温を上げる火の正体は、巧妙に設計された「ステルス増税」と「慢性的なインフレ」だ。社会保険料の段階的な引き上げ、控除の縮小、そして実質賃金の伸びを上回る物価上昇。これらは一度に押し寄せる津波ではなく、数十年かけてじわじわと水位を上げる泥水のように、私たちの生活を浸食してきた。

昨日の100円が今日の110円になっても、人は暴動を起こさない。しかし、それが20年積み重なれば、人々の購買力は致命的に削り取られる。政府や既得権益層は、この「不快感はあるが、即座に致命傷にはならない温度」を維持する技術に長けている。国民が絶望して暴発しない程度に、しかし最大限に搾り取れる絶妙な火力調整を行っているのだ。

衰退を隠蔽する「共依存の合唱」

なぜ、この構造は維持されるのか。それは、鍋の中にいるカエルたちが、お互いを監視し、逃げ出そうとする者の足を引っ張るという「負の同調圧力」を形成しているからだ。

日本の雇用制度、教育システム、そして社会保障。これらはすべて、現状維持を前提とした「逃げ出さないための装置」として機能している。企業は社員を囲い込み、教育は「はみ出さない人間」を作り上げ、メディアは「日本はまだ素晴らしい」という幻想を振りまく。これらはすべて、鍋の中の水温から目を逸らさせるための演出だ。

この構造で得をしているのは、鍋の下で薪をくべている側、すなわち変化を拒む古い権力構造と、そこから滴り落ちる利権を啜る者たちである。彼らにとって、カエルたちが合唱をしながら静かになくなっていくプロセスこそが、最もコストの低い「問題解決」なのだ。

緩やかな衰退は、急激な崩壊よりも残酷である

私たちは、ショック療法を恐れるあまり、不治の病を選んでしまったのではないか。急激な崩壊は、一時的な苦痛を伴うが、そこには再生のチャンスがある。焼け野原から立ち上がる力、破壊から創造へ向かうエネルギーが存在する。

しかし、現在進行形の「漸減型」の衰退には、そのチャンスすら与えられない。「まだ大丈夫」と言い合っているうちに、私たちは自力で立ち上がる筋力さえ奪われていく。飛び出す体力を使い果たした後に訪れるのは、沸騰した水の中での死ではない。もっと惨めな、感覚を失い、思考を停止したまま、ただ腐敗していくという結末だ。

今、私たちがすべきことは、心地よい合唱に声を合わせることではない。自分の皮膚が受けている熱を、正しく「熱い」と認識し、絶叫することだ。そして、たとえ足が動かなくとも、這ってでも鍋の縁に手をかけることである。

平和な衰退という名の、この生温かい地獄を抜け出す唯一の方法は、私たちが「現状はもう手遅れである」という事実を、残酷なまでに直視することからしか始まらない。幸福なふりをして歌うのをやめた者だけが、本当の冷気を肌で感じ、自由への第一歩を踏み出せるのである。

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