永遠に解けない「因数分解」に人生を捧げさせられる国民へ:北方領土・竹島問題という政治的集票マシーンの正体

「いつか返ってくる」という甘い毒を飲まされ続けて

私たちは、物心ついた頃から「わが国固有の領土」というフレーズを耳にタコができるほど聞かされてきた。教科書には地図があり、返還を求める署名活動が駅前で行われ、政治家たちは選挙のたびに力強く拳を振り回す。しかし、ふと立ち止まって考えてみてほしい。あなたの人生において、その「失われたとされる土地」が一歩でも近づいた感覚があるだろうか。

生活は苦しくなり、物価は上がり、将来への閉塞感ばかりが募る中で、領土問題だけが「変わらぬ悲願」として冷凍保存されている。なぜ私たちは、何十年も同じ場所で足踏みをさせられ、報われない期待を抱き続けなければならないのか。その理由は、私たちが解かされている問題が、最初から「解かせないこと」を目的として設計されているからに他ならない。

霧に包まれた「終わらない試験」

想像してみてほしい。あなたは今、無機質な試験会場に座らされている。目の前には、分厚い問題用紙が一枚。そこには、数千、数万もの未知数が複雑に絡み合った巨大な方程式が記されている。

「これを解けば、すべてが解決する。失われた富も、誇りも、すべてが君たちの手に戻る」

試験監督の男たちは、教壇の上で自信満々にそう告げる。彼らは時折、黒板に新しい数式を書き足しては、「あと一歩だ」「画期的な解法が見つかった」と希望を煽る。しかし、試験会場の窓の外を見てほしい。そこには深い霧が立ち込め、目指すべき「土地」の影すら見えない。潮風の匂いだけが微かに漂うが、それがどこから来るのかも定かではない。

あなたが必死に計算を続けている間、試験会場の時計は冷酷に時を刻み続ける。ふと気づけば、隣に座っていた学友は老い、鉛筆を握る力さえ失っている。一方で、試験監督たちはどうだろうか。彼らは「試験を継続すること」で給料を得、豪華な食事を楽しみ、あなたが必死に書いた答案を眺めては、裏返して別の計算に使っている。

彼らにとって最悪の事態とは何か。それは、あなたが方程式を解いてしまうことでも、試験を諦めて席を立つことでもない。「この方程式には最初から答えなど存在しない」と気づかれ、教室がもぬけの殻になることだ。だから彼らは、永遠に解を導かせないまま、あなたをこの椅子に縛り付け続ける必要がある。

既成事実という名の「定数」と、政治家の嘘

この不条理な試験こそが、現代日本における領土問題の縮図である。

「解なし」の方程式を解かせる欺瞞

北方領土や竹島を巡る議論は、国際法、歴史的経緯、軍事的地政学、そして当事国のナショナリズムという、あまりにも多すぎる「変数」で構成されている。これらは互いに矛盾し合い、一方を立てれば他方が崩れる。数学的に言えば、これは「解なし」の方程式である。

しかし、歴代の政権はこれを「政治的決断で解ける」と嘘をつき続けてきた。交渉プロセスの進展を強調し、首脳会談のたびに「手応え」を演出する。その裏で進んでいるのは、解決に向けた進展ではなく、単なる時間の経過である。

確定していく「定数」と実効支配の冷酷

外交において、時間は常に「今そこにあるもの」の味方をする。私たちが曖昧な「変数」をこねくり回している間に、相手国は着々とインフラを整備し、赤ん坊が生まれ、その土地で生きるアイデンティティを形成させていく。

これが「既成事実」という名の定数だ。かつては動かせたはずの変数が、時間の経過とともに固定され、動かせない定数へと変質していく。私たちが「言葉の定義」で揉めている間に、物理的な現実は一刻一秒と、取り返しのつかない形で確定しているのである。

構造的な病巣:集票マシーンとしての「悲願」

なぜ、これほどまでに絶望的な状況でありながら、政治は「解決」を叫び続けるのか。それは、解決しないことこそが、一部の権力者にとって最大の利益を生むからだ。

領土問題は、国民の愛国心を刺激し、外部に敵を作ることで国内の不満を逸らすための「麻薬」として機能する。領土返還を訴える政治家は、それだけで「国を守る強いリーダー」という免罪符を得ることができる。彼らにとって、領土問題とは解決すべき課題ではなく、定期的にメンテナンス(演説や抗議)を施すだけで安定的に票を稼ぎ出してくれる「永久欠動説」の集票マシーンなのだ。

結論:偽りの方程式を破り捨てる勇気

私たちは認めなければならない。あの方程式は最初から「因数分解できない」ように作られていたのだ。それを解こうと躍起になり、人生の貴重なエネルギーと感情を浪費することは、皮肉にもその構造を維持する手助けをしているに過ぎない。

「解決する気のない問題は、政治家の集票マシーンとして利用される」

この冷徹な事実に目を見開くことからしか、新しい議論は始まらない。政治家が「返還」を口にするたびに、私たちは問うべきだ。その言葉は、具体的なタイムテーブルに基づいた現実的な戦略なのか、それとも、私たちを永遠に椅子に縛り付けておくための子守唄なのか。

領土という形あるものに執着し、精神をすり減らしている間に、私たちはこの国の「現在」という本当の拠り所を失ってはいないだろうか。解けない方程式を解く努力を美徳とする時代は終わった。今、私たちに必要なのは、その問題用紙を破り捨て、試験会場の扉を蹴破って、リアルな現実の問題へと歩き出すことである。

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