毎日働いているのに、なぜ私たちの豊かさは「目減り」し続けるのか
朝、スマートフォンのアラームで叩き起こされ、満員電車に揺られ、定時を過ぎても終わらない業務に追われる。手にする給与明細の数字は数年前と大差ないはずなのに、スーパーに並ぶ食料品は少しずつ、しかし確実に高騰し、内容量はシュリンクフレーションによって削り取られていく。
「お金はもっと発行できるはずだ」「国はもっと借金しても大丈夫だ」という甘美な理論がSNSやメディアを賑わせている。だが、直感的な違和感を拭えない層も多いはずだ。蛇口から無限に水が出るように、政府がいくらでも「円」という数字を積み上げられるのだとしたら、なぜ私たちはこれほどまでに閉塞感の中にいるのか。
なぜ必死に働いても、明日に希望が持てないのか。その答えは、私たちが手にしている「円」という通貨が、もはや「実体のある価値」ではなく、ある閉鎖的なカジノの中でしか通用しない「チップ」に成り果てているからに他ならない。
煌びやかなカジノと、出口のない「プラスチックの楽園」
想像してみてほしい。あなたは、四方を巨大な壁に囲まれた、豪華絢爛なカジノの中に閉じ込められている。
シャンデリアが輝き、空調は常に最適に保たれ、窓一つないその空間には、24時間、高揚感を煽るBGMが流れている。ギャルソンたちは笑顔で飲み物を運び、人々はテーブルを囲んで熱狂している。このカジノの中では、「チップ」こそが絶対的な力だ。チップを積めば酒が飲める。チップを払えば豪華なベッドで眠れる。そして、カジノのオーナーはこう告げる。
「心配いりません。チップが足りなくなったら、私はいくらでも印刷します。このカジノ内の経済を回すために、無限に供給し続けましょう」
あなたは安堵し、手元のチップが増えるたびに豊かになったと錯覚する。しかし、ある時、ふとした疑問が頭をよぎる。この壁の外はどうなっているのか、と。
あなたは意を決して、出口の大きな鉄扉を叩く。扉の隙間から、外界の商人がこちらを覗き込んでいる。あなたは手元のチップを差し出し、外界の新鮮な果物を買いたいと告げる。すると、商人は冷笑を浮かべてこう言い放つ。
「そんな色付けされた、ただのプラスチックの破片で何が買えるというんだ? 外の世界では、それはただのゴミだ」
カジノの中では「金」として振る舞うプラスチック。しかし、一歩外に出れば誰にも顧みられないガラクタ。カジノ自体の供給能力が衰え、外の世界からエネルギーや物資を買わなければならない時、そのチップはただの「負債の証明書」へと変貌する。カジノのオーナーがチップを刷れば刷るほど、外界の商人は要求するチップの枚数を吊り上げる。
あなたは、山積みになったチップを抱えながら、空腹でその場に崩れ落ちるのだ。
現代貨幣理論が無視した「壁の外」にある真実
通貨供給という「魔法」の代償
このカジノの寓話は、現代日本が直面している「現代貨幣理論(MMT)」の誤解、あるいはその悪用への強烈な皮肉である。「自国通貨建ての債務であれば、インフレが起きない限りいくら発行しても破綻しない」という理論は、論理としては成立しているように見える。しかし、そこには致命的な視点が欠落している。それは「通貨の価値は、その国がどれだけ価値を生み出せるか」という、残酷なまでの実力主義だ。
現在、日本が生み出した「円」というチップは、国内というカジノの中であれば一応の価値を保っている(ように見える)。しかし、エネルギーのほぼ全てを輸入に頼り、食料自給率が低迷し、デジタルプラットフォームを外資に支配された我々は、常に「壁の外」の商人から物資を買わなければ生きていけない。
信用というダムの崩壊:ハイパーインフレの正体
信用という担保が失われた瞬間、通貨は一瞬で紙くず、あるいは「カジノのプラスチック」へと還元される。これがハイパーインフレの本質だ。
MMTを盲信する人々は、デフレ脱却のため、あるいは困窮者救済のために「もっと刷れ」と叫ぶ。しかし、その行為はカジノの中でチップの総量を増やすだけで、カジノそのものの建物の老朽化や、調理場のスタッフ不足(労働力の低下・技術力の喪失)を解決するものではない。むしろ、刷れば刷るほど、壁の外の商人からは「このカジノのチップには、もう価値がない」と見限られ、円安という形での「静かなる没収」が進行する。
構造的な病巣は、通貨の発行量にあるのではない。発行された通貨の背後にある「現実の価値」を生む力が衰えていることにある。
通貨という魔法を解き、再び「土を耕す」勇気を
私たちは、通貨を「魔法の杖」であると勘違いしてしまった。数字を増やせば、誰かの幸せが買えると信じ込んでしまったのだ。しかし、その甘い幻想のツケは、私たちの生活の質の劣化、そして将来世代への果てしないツケ回しという形で現れている。
通貨の価値とは、その国の「国力」そのものである。国力とは何か。それは、教育、技術、インフラ、そして何より「世界が欲しがる価値を生み出せる人間」がどれだけいるかという総量だ。
結論:偽物のチップを捨て、実体を取り戻せ
カジノの壁の中で、無限に刷られるチップの枚数に一喜一憂するのは、もうやめよう。私たちが向き合うべきは、チップを刷るためのプリンターの保守ではなく、壁の外の世界と対等に渡り合えるだけの「実力」を再構築することだ。
通貨を安易に増やすことは、構造改革という痛みを伴う治療を先送りにするための「強力すぎる鎮痛剤」に過ぎない。鎮痛剤を打ち続け、痛みに気づかないまま体が腐り落ちていくのを待つのか、それとも痛みを引き受け、足腰を鍛え直すのか。
通貨は魔法の杖ではない。それは、国民が流した汗の結晶を一時的に預かる「器」に過ぎない。器の中に注ぐべき「価値」が枯渇すれば、器はただの燃えないゴミになる。私たちが今すぐやるべきことは、カジノの席に座り続けることではなく、壁を突き破り、泥にまみれながらも「実体のある産業」と「真の専門性」を耕し直すことである。
このまま「チップ」を握りしめたまま、沈みゆくカジノと運命を共にするのか。それとも、幻影から覚醒し、価値の源泉を取り戻すのか。選択の時間は、もうあまり残されていない。
コメント