羅針盤の死、あるいは「対応」という名の漂流――なぜ日本という船は、荒波の中で円を描き続けるのか

私たちが抱える、終わりのない徒労感の正体

朝、目が覚めた瞬間に感じる、重く湿った空気のような閉塞感。満員電車に揺られながら、あるいはスマートフォンの画面をスクロールしながら、私たちは漠然とした不安を抱え続けている。景気回復の兆し、賃上げのニュース、少子化対策の号令。メディアからは景気の良い言葉が流れてくるが、私たちの生活実感は一向に向上しない。むしろ、走っても走っても景色が変わらないトレッドミルの上に立たされているような、奇妙な「停滞の感覚」だけが色濃くなっていく。

なぜ、これほどまでに一生懸命に働き、税を納め、社会のルールを守っている私たちが、未来に対して希望を持てないのか。その理由は、私たちが無能だからでも、努力が足りないからでもない。私たちが乗り込んでいる「日本」という名の巨大な船が、どこへ向かうべきかという意志を失い、ただ同じ場所を旋回し続けているからだ。

私たちは、目的地のない航海に強制参加させられている。エンジンの音だけは勇ましいが、舵を切るべき羅針盤はすでに修復不可能なほどに壊れているのだ。

霧に包まれた円舞曲:北を指さない磁針の悲劇

想像してみてほしい。あなたは今、一隻の巨大な豪華客船の甲板に立っている。周囲は深い霧に包まれ、一寸先も見えない。波は高く、時折強い風が船体を叩きつける。乗客たちは不安に駆られながらも、「きっと船長がなんとかしてくれるはずだ」と信じている。

ブリッジ(船橋)を覗いてみよう。そこには、きらびやかな制服に身を包んだ船長と航海士たちが集まっている。彼らは一様に真剣な表情を浮かべ、古い羅針盤を囲んでいる。船長は力強く宣言する。「見ろ、我々は北を目指している。この針が指す方向こそが、我々の進むべき黄金の航路だ」

しかし、異変に気づいた者がいた。窓の外をよく見れば、船は同じ岩礁の周りを、ただグルグルと円を描いて回っているだけなのだ。羅針盤をよく見てみるといい。磁針は磁力によって北を指しているのではなく、船長が隠し持った強力な磁石によって、強引にその方向へ固定されている。あるいは、内部の歯車が噛み合わず、ただ虚しく空転しているだけなのかもしれない。

「船長、このままでは燃料が尽きてしまいます! どこかへ上陸しなければ!」と乗客が叫ぶ。すると船長は、穏やかな、しかし感情の欠落した声でこう答える。「状況は把握している。我々は適切に『対応』しているところだ。風が吹けば帆を調整し、波が来れば船体を傾ける。万全の態勢で注視しているから安心したまえ」

船員たちは忙しそうに走り回っている。甲板を磨き、錆びた手すりを塗り直し、不平を言う乗客にパンを配る。しかし、誰一人として「この船はどこへ行こうとしているのか?」という問いには答えない。彼らにとっての航海とは、目的地に到達することではなく、今この瞬間の揺れをやり過ごすこと、そのものへと変質してしまっているのだ。

「対応」という言葉に隠された責任放棄の構造

この不気味な客船の光景は、現代日本の政治そのものを映し出す鏡である。

国家ビジョンという羅針盤の消失

かつての日本には、「戦後復興」や「高度経済成長」という、未熟ながらも明確な磁北があった。しかし、バブル崩壊後の三十年間、私たちが目撃してきたのは、国家としての明確な意思決定ではなく、場当たり的な「対応」の連続である。

政治家たちの口から発せられる言葉を思い出してほしい。「注視する」「遺憾に思う」「適切に対応する」「スピード感を持って検討する」。これらはすべて、主体的な「意志」を欠いた、受動的なリアクションの言葉だ。そこには「この国を、十年後にこうしたい」という能動的な「目指す」という視座が決定的に欠落している。

外圧という風に流されるだけの漂流

自ら目的地を持たない船は、外部からの力に翻弄されるしかない。これが現在の日本の外交や経済政策によく現れている。アメリカの影響、中国の台頭、グローバル資本の要求。自国のグランドデザインがないため、常に外圧(風)が吹いた方角へ、流されるままに対応を迫られる。

結果として、増税、規制緩和、エネルギー政策の転換など、一貫性のない政策が積み重なり、国民は「どちらを向いて歩けばいいのかわからない」という方向喪失状態に陥っている。

なぜ「壊れた羅針盤」は放置されるのか

なぜ、この絶望的な構造は維持され続けるのか。それは、この「漂流」によって利益を得ている層が存在するからだ。

目的地を決めないことは、責任の所在を曖昧にすることと同義である。明確なビジョンを掲げれば、達成できなかった際の政治的責任を問われる。しかし、「変化する状況に対応する」という建前を維持し続ければ、失敗はすべて「予期せぬ外部要因」のせいにできる。このシステムにおいて、政治家や既得権益を持つ官僚たちは、現状を維持し、決定を先送りにすることで、自分たちのポジションを守り続けている。船が沈まない程度に、しかし決して進まないように。この「維持することそのものが目的化」した構造こそが、日本を蝕む病巣の正体である。

結論:羅針盤を捨て、星座を見上げる強さを

私たちは、ブリッジに飾られた偽りの羅針盤を信じるのを、もうやめなければならない。

政治家が「対応」という言葉を使うとき、それは「自分たちは何も決める気がない」という告白と同義であると見抜くべきだ。彼らは私たちが期待する「先導者」ではなく、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ「観測者」に過ぎないのだ。

「対応する」政治から、「目指す」政治へ。この転換は、権力者たちの良心に期待しても決して起こらない。なぜなら、彼らにとって壊れた羅針盤は、責任を回避するための便利な道具だからだ。

必要なのは、私たち国民が、船長の手元にある羅針盤から視線を外すことだ。甲板に立ち、自分たちの頭上にある星座を見上げ、自分たちが本当に行きたい場所を自分たちの言葉で語り始めることである。

「この国をどうしたいか」という問いを、専門家や政治家に丸投げしてはならない。彼らが「対応」という言葉で煙に巻くなら、私たちは「理想」という灯台を自分たちの手で打ち立てる必要がある。

政府が目的地を示さないのであれば、私たち一人ひとりが航海士となり、自分たちの生きる意味を、この停滞した社会の中に切り拓いていかなければならない。壊れた羅針盤に運命を委ねるのか、それとも自らの意志で舵を奪い返すのか。その選択こそが、この霧の海を脱する唯一の鍵となるのである。

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