民主主義という名の「席替え」:なぜ日本の政治は顔ぶれが変わるだけで何も変わらないのか

永遠に続く「放課後」の閉塞感の中で

朝、目が覚めた瞬間に感じる、あの鉛のような倦怠感の正体は何だろうか。給料は上がらず、物価だけが窓の外の景色のように素早く過ぎ去っていく。SNSを開けば、どこかで見たような顔ぶれの政治家たちが、既視感のある言葉で「刷新」や「改革」を叫んでいる。しかし、画面を閉じた後に残るのは、冷え切ったコーヒーのような苦味だけだ。

私たちは、自分たちが主役であるはずのこの国で、いつの間にか観客席に追いやられている。選挙のたびに期待を抱き、投票箱に一票を投じる。しかし、幕が上がれば演じられるのはいつもと同じ脚本、同じ役者たちによる、立ち位置を少し変えただけの群像劇だ。なぜ、私たちの切実な痛みは放置され、国家の舵取りはこれほどまでに「内輪の論理」で完結してしまうのか。その答えは、私たちが長年強制的に参加させられている、ある「教育的な欺瞞」の中に隠されている。

終わらない「席替え」という名の監獄

想像してみてほしい。あなたは、ある古い中学校の教室に座っている。湿ったチョークの匂いと、使い古された机の傷跡。クラスの雰囲気は最悪だ。窓際で威張っている有力グループがすべてを支配し、真面目に勉強している生徒たちは隅に追いやられ、冷たい隙間風に耐えている。

「現状を変えよう。公平に席替えをしようじゃないか」

教壇に立つ、狡猾な笑みを浮かべた教師がそう宣言する。生徒たちは色めき立つ。今度こそ、あの不当な支配から解放されるかもしれない。窓際の暖かい席に行けるかもしれない。希望を胸に、生徒たちは一人ずつ、黒い箱の中から「くじ」を引いていく。

だが、箱の底には仕掛けがある。教師と有力グループのリーダーたちは、放課後の誰もいない教室で、すでに配置図を書き上げているのだ。くじの番号は、書き換えられた「配役」に過ぎない。

くじ引きという儀式が終わる。教室の中は大騒ぎだ。「あいつがあの席になった」「今度はこのグループが前列だ」。生徒たちは、移動したばかりの新しい席に座り、お互いの顔を見合わせる。しかし、ふと気づくのだ。顔ぶれは1ミリも変わっていないことに。かつて窓際にいた横暴な生徒は、廊下側に移動しただけで、相変わらず取り巻きを引き連れて威張っている。教壇の教師は、満足げにその光景を眺めている。

この「席替え」には、出口がない。どれだけくじを引き直しても、誰がどの席に座っても、教室を支配する本質的な力関係は微動だにしない。それは「変化」を望む生徒たちのエネルギーを奪い、ガス抜きをするための、あまりに高度で残酷な芝居なのだ。

出来レースとしての総裁選と派閥政治

この巧妙な「席替え」の構図こそが、現代日本の政治、とりわけ総裁選や派閥政治の正体である。

演出された「刷新感」という幻影

メディアがこぞって報じる総裁選は、国民にとっての「席替えのくじ引き」に他ならない。候補者たちが「国民の声を聞く」と訴え、対立を演じる姿は、教室でくじを引く生徒たちのパフォーマンスと同じだ。しかし、その舞台裏では、フィクサーと呼ばれる長老や派閥の論理という名の「教師」たちが、あらかじめ椅子の配分を決めている。

「派閥解消」という看板が掲げられても、水面下では数、ポスト、そして資金の論理が支配する。結局のところ、大臣が入れ替わり、党役員の肩書きが書き換えられても、意思決定のコアメンバーは変わらない。私たちは「新しいリーダー」が誕生したという錯覚(アナロジー)を見せられているだけで、実際には同じメンバーが教室の中で横移動しただけなのだ。

構造的な病巣と維持される既得権益

なぜ、この不毛な「席替え」が繰り返されるのか。それは、このシステムが「変化しているフリ」をすることにおいて、世界で最も効率的だからだ。

本当に構造を変えようとすれば、教室の窓を開け、新しい風を入れ、古いルールを破棄しなければならない。しかし、それをすれば教師(権力構造)の権威は失墜し、有力グループ(既得権益層)の居場所はなくなる。だからこそ、彼らは定期的に「席替え」を演出し、国民に「何かが変わるかもしれない」という微かな希望を抱かせ続ける。期待感という麻薬を打ち続けることで、根本的な怒りを骨抜きにしているのだ。

このシステムで得をするのは、椅子を回し続ける特権階級だけである。国民は、その回転椅子の動きを追いかけることに疲れ果て、やがて思考を停止し、現状維持を受け入れるようになる。

擬似的な変化を拒絶せよ

私たちはもう、この「席替え」に一喜一憂するのをやめるべきだ。

誰が総裁になり、どの派閥が力を持ち、誰がどの閣僚ポストに就くか。そんなものは、支配構造を維持するための「高度な芝居」の配役表に過ぎない。重要なのは「誰が座るか」ではなく、「この教室のルールそのものをどう変えるか」である。

日本の政治が抱える不条理の核心は、この擬似的な変化を演出して、体制を維持する高度な芝居にある。

私たちは、箱の中のくじに一喜一憂する生徒であってはならない。教室の壁を壊し、外の世界を見据える視点を持つ必要があるのだ。既定路線の「席替え」に拍手を送るのをやめ、その滑稽な芝居の幕そのものを引きずり下ろすこと。その時初めて、私たちの手による本当の「変化」が、この凍てついた国に訪れるはずだ。

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