「今年こそ業界シェアNo.1を目指す」「顧客感動満足度を最大化し、イノベーションを加速させる」——。あなたの会社の会議室で、このような言葉が並んだ「経営計画書」を目にしたことはないだろうか。もし心当たりがあるなら、警戒が必要だ。リチャード・ルメルト氏に言わせれば、それは戦略ではなく、単なる「願望のリスト」に過ぎないからである。
多くのリーダーが、キラキラとしたスローガンを掲げることで組織を動かそうとする。しかし、現実は非情だ。どれほど前向きな言葉を並べても、具体的な「障害」を取り除くための設計図がなければ、組織のリソースは分散し、現場は疲弊していく。それは、栄養の切れた田んぼでひたすら耕作を続けるようなもの。どれほど汗を流しても、実る稲穂は年々痩せ細っていくばかりだ。
本書『良い戦略、悪い戦略』が突きつけるのは、「前向きな言葉だけでは勝てない」という冷徹な現実である。この記事では、世界で最も影響力のある経営思想家の一人、リチャード・ルメルトが定義する「良い戦略」の正体を解き明かす。何を捨て、どこに全精力を注ぐべきか。その知的誠実さを手に入れたとき、あなたの組織は初めて「突破口」を見出すことができるだろう。
あなたの会社の戦略は「ただの願望」ではないか?
「私たちの戦略は、売上を前年比20%アップさせることです」といった発言を耳にすることがある。しかし、これは戦略ではない。単なる「目標」だ。戦略とは、その目標を達成するために「どのようにして障害を乗り越えるか」という道筋を指す。この混同が、多くの組織を迷走させている。
悪い戦略によくある4つの特徴
ルメルトは、悪い戦略には共通する4つのシグナルがあると指摘している。第一に「空疎な言葉(フラフ)」。専門用語や流行りの言葉を並べているが、中身がない状態だ。第二に「重大な問題の軽視」。直面している困難を直視せず、避けて通っている。第三に「目標を戦略と勘違いしている」。そして第四に「不適切な戦略目標」だ。
これらは、組織内の政治的な配慮や、何かを切り捨てることへの「恐怖」から生まれる。SNSでは「立派な経営方針ほど、現場は何をすればいいか分からない」という声が散見されるが、これはまさに戦略が空疎である証拠だ。悪い戦略は、ダムの至る所に少しずつ土を盛るようなもの。一見全体を補強しているように見えるが、最も水圧がかかっている一点が崩れれば、すべてが水の泡となる。
「目標」を「戦略」と呼び替える組織の末路
なぜリーダーは、目標を戦略と呼び替えてしまうのか。それは、困難な決断を避ける方が一時的に楽をできるからだ。利害関係者全員の顔を立て、耳当たりの良い言葉で鼓舞すれば、その場の波風は立たない。しかし、リソース(ヒト・モノ・カネ)は無限ではない。
「あれもやる、これもやる」という全方位への努力は、結局のところ「何もしていない」のと同じだ。戦略とは、一つの勝利をもぎ取るために、他の九つの欲望を切り捨てることである。この決断を欠いた組織は、やがてエネルギーを分散させ、強みを持たない凡庸な集団へと埋没していく。「戦略が複雑なのは、あなたの頭が整理されていない証拠である」というルメルトの言葉は、経営者にとって耳が痛い格言といえるだろう。
戦略のカーネル(核):成功を導く3つの必須コンポーネント
良い戦略には、共通の「カーネル(核)」が存在する。それは、診断、基本方針、行動という3つの要素が一貫性を持ってつながっている状態だ。ルメルトは、この構造を「テコ」に例えている。支点が定まらず、力が分散していれば、どんなにレバーを引いても巨大な岩(課題)を動かすことはできない。
診断(Diagnosis):状況を構造的に捉え、急所を特定する
良い戦略は、常に「現状の診断」から始まる。医師が患者の熱を見て、いきなり「解熱を目指しましょう」と言うだろうか。そんな医師は信頼できない。名医は「なぜ熱が出ているのか」の原因を特定し、それがウイルスによるものか、過労によるものかを判断する。
ビジネスも同じだ。市場で何が起きているのか、自社の真の弱点はどこにあるのかを構造的に捉え、解決すべき「たった一つの急所」を選び出す必要がある。業界では「まず課題設定が間違っているケースが8割だ」という見方が広がっているが、診断のプロセスを飛ばすことは、目隠しをして迷路を走るようなリスクを伴う。
基本方針(Guiding Policy):エネルギーを集中させる方向性
診断によって急所が特定されたら、次は「どう対処するか」という基本方針を定める。これは、診断で明らかになった障害を乗り越えるための「ガードレール」のような役割を果たす。
ここで重要なのは、方針に「排他性」を持たせることだ。例えば「低価格で攻める」と決めたなら、「手厚いカスタマイズサービス」は捨てなければならない。良い戦略は虫眼鏡のようなもの。太陽の光を一点に集めなければ、紙に火を付けることはできない。全方位を平均的に温めるのは、戦略ではなくただの「暖房」に過ぎず、それでは競合という冷たい風にすぐに押し流されてしまう。
行動(Coherent Action):今日から何を変えるかの一貫した計画
最後は、方針を現実にするための「一貫した行動」だ。多くの戦略が失敗するのは、方針と行動がバラバラだからである。行動とは、単に「頑張る」ことではなく、方針を実現するためにリソースを具体的に配分するプロセスを指す。
ルメルトは、人間が一度に集中できる重大な課題は実質「1つ(核心)」に絞るべきだと説く。複数のプロジェクトが並行し、それぞれが異なる方向を向いている状態では、せっかくの基本方針も形骸化する。一貫した行動こそが、紙の上に書かれただけの「計画」を、現実を変える「力」へと変換するのである。
「悪い戦略」を破壊するための具体的ステップ
もし、あなたの手元にある戦略書が「悪い戦略」の特徴に当てはまっているなら、それを勇気を持って解体しなければならない。そのためには、単なる改善ではなく、根本的な「思考の転換」が必要だ。
スローガンとアドバルーンを捨て、困難な決断を行う
まずは、耳当たりの良い「スローガン」や、実態の伴わない「アドバルーン」をすべて取り払うことから始めよう。「No.1を目指す」という言葉を禁止し、代わりに「いま、私たちの前進を阻んでいる最大の障壁は何か?」という問いを立てるのだ。
これには痛みが伴う。専門家の間では「戦略とは、誰を怒らせるかを決めることだ」という意見もある。全員の要望を聞き入れるのは政治的な鎮痛剤にはなるが、組織の病を治す治療薬にはならない。過去の成功体験や、現在の能力の限界を認めることは怖いことだ。しかし、自分の足元をよく見て、唯一の弱点を直視することこそが、地味だが確実な勝利への第一歩となる。
「何をやらないか」を決めるための評価基準
「やるべきこと」を探すのは簡単だが、「やらないこと」を決めるのは極めて難しい。そのためには、明確な評価基準が必要だ。ルメルトの思想に基づけば、その基準は「それは我々の特定した『急所』を突くために、100%の力を貸してくれるか?」という一点に集約される。
三流の料理人はすべてのスパイスを使いたがるが、一流の料理人は素材を活かすためにあえて塩だけを使う。同様に、優れたリーダーは可能性の選択肢を切り捨て、一点に全精力を集中させる。SNSでは「やらないことを決めた瞬間に、チームのスピードが劇的に上がった」という成功体験がよく語られるが、これはリソースが集中することで相乗効果が生まれた結果である。
リチャード・ルメルトの思想を実務に活かす方法
ルメルトの理論は、企業の経営会議だけでなく、私たちの日常的な仕事やキャリア設計にも応用できる。
自社の「戦略書」を書き換えるワークフロー
今の戦略を「良い戦略」に書き換えるための具体的なワークフローは以下の通りだ。
- 現状のターゲットを一つに絞る: 「売上向上」「利益改善」「認知拡大」をすべて追うのをやめ、今最も解決すべきボトルネックを特定する。
- 「なぜ?」を5回繰り返す: 表面的な事象ではなく、構造的な原因にまで踏み込む。
- リソースを再配分する: 優先順位の低いプロジェクトから勇気を持って人員と予算を引き揚げ、特定した急所にすべてを投じる。
「〜という声は少なくない」という形で現場の不満を吸い上げ、それを「診断
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